2011年8月7日日曜日

fractale 外苑西通り編(3)

僕はフラクタル。

本名は、神内 修(こううち・おさむ)。

1985年8月28日、
いまから25年前のこと、、、。

僕の14回目の誕生日。

両親に連れられて、鳥取県東伯郡三朝町にある天台宗の寺院、
三仏寺に向っていた。

当時の我が家は千葉市にあり、
そこから車で鳥取県まで向うには、かるく15時間を要する。
父は車好きで、毎日のように手入れをしていた。
運転も大好きなので、父にはまったく苦痛ではなかった。

母は乗り物に弱く苦痛だったようだ。

愛車は「クライスラーのインペリアルクラウン」。
ウルトラセブンの地球防衛軍車両ポインターのベース車だ。
このシャープなラインは希少価値。
ファミリーカーではない。

僕にとっても自慢だった。

***

三仏寺がある三徳山の麓に着いたのは、日が暮れる間際だった。

三仏寺への道のりは険しく、ロッククライミングさながらの断崖を登る。

日が暮れた。

こんなに暗くては、とてもロッククライミングなどできない。

しかし、父はまるで獣のようにスイスイと登っていく。
しかも、母をおぶって。

僕は目を疑った。
「父さん? だよな」
普段の父の姿とあまりにも大きなギャップがあり、
異次元の生物のような気がした。

そして父は見えなくなった。

はやく後を追わなくては、僕が遭難してしまう。

はやく、、、はやく、、、、

その気持ちとは逆に、どんどん力が抜けていき、意識が朦朧としていく。
「なんだ? なにも考えられない、、、力が入らない」
もはや、自分が立っているのか、座っているのかも解らない状態になり、
なにかツタのような細長いものが体に無数に絡み付いていく感覚を味わった。

ふと気が付くと、僕は三仏寺奥の院の屋根の上に座っていた。

この奥の院は、通称「投入堂」と呼ばれている。
断崖絶壁の中腹、しかも岩壁がオーバーハングしているところにそびえている。
この場所に建築物を建てること自体、平安時代の人間には絶対に無理である。
その場に建てることがむりなので、完成したお堂を投げ込んだのではないか?
ということから、この通称で呼ばれている。

いまだにその建築方法は謎である。

丑三つ時、
月明かりがまぶしい。

月明かりで照らされた自分の腕と足を見る。

「なんだこれは?」

帯状のものに巻かれて締め付けられたような後が、、、。
しかも螺旋状に何重にも。

よく見ると、鱗のような跡がその帯内にうかがえる。

「一体、何がおきたのだろう?」

両親の姿はどこにも無い。

そのときだった、
目の前を、龍が通りすぎた。
体長20メートルはあるだろうか、、、。
まさか、実在するなんて、、、。
そして驚きながら僕は気を失っていった。
遠のく意識の中で、おぼろげに覚えていることは、
そのまま崖の下に落ちていったこと。

50メートル以上ある崖。

助かるはずがない。

***

小川のせせらぎが聞こえる、、

夜が明けたらしい。

「ここは天国か?」

「14歳の誕生日に僕は死んでしまったのか、、、」

朝霧のなかからうっすらと見える人の影。
あの世のお迎えか?

米粒程度の大きさ。
だんだんと近づいてくる。
10分くらいかけてゆっくりと。
倒れているぼくの側にきて、
ようやく顔が見えた。

50歳手前くらいの紳士だった。
その立ち姿、美しい姿勢、それを見れば、
彼がただ者ではないことを容易に感じることができる。
しかも、緊張感と安心感につつまれたオーラを漂わせている。
なぜか、根拠も無く心を許したくなる。

「この人と一緒にいたい」
衝撃的な出来事に遭遇して間もない僕は、すがるよにそう思った。

徐々にぼくは、回復した。
死んではいなかった。
傷が治り、折れた骨がつながり、陥没した頭部は張りを取り戻した。
完治してしまった。

どういうことだろう。

体は健康そのもの。

すくっと立ち上がり、紳士と対峙した。

紳士は、山高帽を被り、ホワイトアッシュのステッキを持っていた。

そして一言つぶやいた、
「フラクタル、、、お待ちしておりました」

このときを境に、ぼくは強力な治癒能力を手に入れ、
紳士と生活することになった。

つづく

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