2011年7月26日火曜日

らしさ

僕は、
アートディレクションやデザインのような商いを続けておりますが、
それらの仕事は、
「〜らしさ」と「〜らしくなさ」のコントロールのような気がしている。

短絡的には「意外性の使い方」と思いがちだが、
それとは全く違う。

「〜らしさ」と「〜らしくなさ」は相反する物ではなく、
共存しないと新しいステージは訪れない。

例えば、
「この写真集は和風だから、表紙のタイトルは
どう考えても明朝体がしっくりくるよね!(らしさ)」
という判断は世間が認識しているテイストをリピートしていることになるから、
基本的には好きじゃない。

そこには当然、安心感のようなものが芽生えるので、良い面もある。
その安心感をすんなりと芽生えさせるためには、
実はレベルの高い見せ方が要求される。

「らしさ」という山の頂上にむかって突き進んでいるだけでは、
次のステージは訪れない。
というのが持論です。

先述の例えの場合、
単純にゴシックにすれば良いのかというと、
表面的には「らしさ」と逆にいっているのだが、それは違う。

次のステージへ登るために大切なのは、
「らしくないらしさ」を読み解くことだと思う。

僕が思う理想の制作スキームは、
「らしさ」を見極めることから始めるが、
それは「らしくなさ」を見つけるための行為であり、
その後、「らしくなさ」という山に登り始めます。
「らしくなさ」という山の頂上から、
「らしさ」の頂上へ吊り橋を架ける方法を探します。

その結果としてのゴシックであれば、
次のステージに上がったゴシックになっていると思う。
そこには、ステレオタイプの安心感は無いが、
驚きの中に、安心感を植え付けているはずなのです。

*****

自分自身にも「らしさ」を培っていかなくては、、、と思う。
そうすれば、自分の表現の中で「らしくなさ」の相乗効果を作り出せるから。

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