2011年12月27日火曜日

タイヒ・ト・リレキ

JRというアーティストの作品集を買った。
ずっと気になっていた人で、ようやく作品集に出会えた。
『WOMEN ARE HEROES』というプロジェクトを本にまとめたものです。

『WOMEN ARE HEROES』はこんな本です

男性優位の社会で虐げられる女性達の現状を伝えるため、
女性達にインタビューとポートレート撮影を行い、
町の壁や屋根に巨大ポートレートを貼付けるプロジェクトを続けている。
そのメディアは列車のボディ、橋、自動車、道路、階段など多岐にわたる。
このプロジェクトは参加可能型であり、
女性はモデルを務め、子ども達はグラフィティの貼付けをして参加する。
スラム街や紛争地域などで活動する事で、
虐げられた人々の強いメッセージを伝えている。


この作品がわりと有名ですね。
初めて見たときにすごすぎて絶句しました。
スラムの屋根にポートレートを貼っています。


これなんかも最高にクール!
もうむちゃくちゃにすごい。

この作品集は、女性のインタビューと、もとになったポートレートと、
それを使った作品をセットで見る事ができる。

インタビューとポートレート
そのポートレートをプールの底にはりつけた作品。
これもそうとうカッコいい。
アートブックとしてもかなり面白い。

今までも沢山このようなメッセージアートはあった。
すごく気の利いたものや、考えさせる工夫が施されているもの、
なんだかんだでこのジャンルには豊富な表現がある。
でも、ろくでもないものばかりが目に付く。
例えば、最近ちょいちょい見かける動物愛護団体のヌードなんかは、
全然共感できないし魅力的じゃない。
裸なのでそりゃ目を引くけど、僕には露出狂にしか見えない。

闘牛反対!を裸で訴えてみました。

裸で牛の形を作って抗議!血も出てるよ!
僕は動物が大好きで、理不尽な扱いから救いたいと常に思っているけど、
闘牛のように歴史と文化のなかで育まれたことに対しては、意見を持たないようにしている。
そこには否定できない価値が詰っていて、
それはまぎれもなく人類の財産だからです。
(人の都合でものを語るなと言われると思うけど、、、)

この『WOMEN ARE HEROS』は「人」を救うために「人」が行っている抗議です。
「対象が動物じゃなくて人なら肯定するのか?」と言われそうですが、
「人」の場合は、「裸で寝転がって絵を描いてみました」的な
上から目線のユーモア(語弊があると思うけどあえて言います)が通用しないのです。
とてつもなくデリケートで、ひとつ間違えると、
守りたい対象を深く傷つけてしまう。

『WOMEN ARE HEROS』はすばらしい。

直接人が騒がず、無言のまま、アートのインパクトで感じさせる。
下手すると殺されかねない政府手つかずのヤバい地域にとけ込むところから始めて、
結果的に住人総出でアートを作り上げている。

大都市の路上で警察に許可をもらって裸で寝転がるのとは訳が違う。
しかも、見た事の無い光景を見せてくれる。
僕が大好きな『クリスト』のような感動がセットで付いてくる。

クリスト『包まれたライヒスターグ』ベルリン
***

僕が考える「これからの表現」として大切な要素は、
以前このブログでも触れている「対比履歴」。
闇雲に新しい物を生み出すのではなく、
「関係性」を見えるものに昇華していく行為が求められていると思う。

『WOMEN ARE HEROS』には、対比と履歴の両方がある。
ボロボロの町並みや、密林の集落に突然現れるモノクロの巨大な人の顔。
ものすごいミスマッチが、ものすごい衝撃的な対比構造を生んでいる。
しかも巨大なので、だれも無視できないルックスになっている。
そして、その作品はそのまま放置されて、自然に老朽化し、朽ち果てて行く。



こんな感じでぼろぼろになってもそのまま。
抗議なので、できるだけ長く掲示することが大切であり、また、
住人たちの手で作られているので、誰も不快に思っていない。
むしろ誇りに思っている。そのことも抗議の強さに繋がっている。

まさに「履歴」が表現に昇華されているのです。

とてもしっかり完成された抗議のスキームなのだと思ってしまう。



作品集の表紙にもなっているこの作品がたくさんのことを物語っている。

お買い求めはONSUNDAYSで。

2011年9月20日火曜日

ヨックモック的クリエイティヴィティ

ヨックモックの缶、うちの実家には沢山ある。
うちのクライアントさんのオフィスにもあった。
兄の家にもある。
僕の師匠の家にもあった。

ほぼ全員が、名刺やハガキの整理箱にしている。
ほかにもいろいろなお菓子の入れ物が、同じような再利用をされているが、
ヨックモックがダントツに多いような気がする。

なんとなくサイズ感が良いのだろうか。

本来の役目を終えてからも使い続けられるモノって、素晴らしいんじゃないかと、
常々思っている。
逆に言うと、それを意識した物作りが21世紀的プロダクトなのではないだろうか。

それを模索する映画が『ブッシュマン』ですね。
あのコーラの瓶、最高です。

****

小学生の頃、牛乳パックを沢山集めていた。
それは、ロボットを作るため。
程よい数がたまるたびに、巨大ロボが完成する。
今思えば、厚紙とかでも作れたのに、わざわざ牛乳パックがたまるのを待っていた。
はじめから成立している牛乳パックの直方体の姿に、
ロボットのパーツを見出していたのだろう。
リアルに作り込むよりも、牛乳パック感が残るところに面白みがある。

プラモデルも沢山作っていたけれども、
牛乳パックには何とも言えないロマンがあった。

トランスフォーマーなんかを見ても、
もとの自動車のデザインが残っているからこそカッコいい。


このもとが解る感じ、かなり大事なポイントのような気がする。

例えば古紙とか、ペットボトルウールとかに代表される、
もとをわからなくして新しい何かに作り替える類いの物にはない
面白さと可能性を感じる。

***

先日、仲のいい編集者のO.Y.さんが、打ち合わせのときにMacBookAirを出して、
起動させるのかと思いきや、パカッとふたを開けたら、
そこにはA4サイズの書類が沢山挟まっていた。
すげーーー!バインダーにしちゃってる。パソコンなのに。
しかも打ち合わせ中、一度も起動せず、
紙の書類をまたもとのようにMacBookAirに挟み込んで鞄へおさまっていった。
完全にバインダーの役目だけでした。
MacBookAirのボディ素材は飛行機に使うくらいの剛性があるので、
絶対に折り曲げたくない重要書類を挟むにはうってつけですね。
火にも強そうだし。

「大火事に見舞われてもこの書類だけは無傷だったよ、
パソコンは動かなくなっちゃったけどね。」

ということがおきたりすると、鳥肌もんのパラドックスです。

また、別な人の話ですが、iPadをノートに挟んで下敷きにしている人もいました。
メモ機能満載のハイテクマシーンを下敷きにして紙に鉛筆でメモを取る。
すごいパラドックス。
でも素敵!!

***

話を最初に戻しますが、
ヨックモックとコクヨとかが手を組んで、
サイズがちょうど良くできている「名刺入れになるお菓子の缶」を
始めから設計してつくるのはどうだろうか?
と想像してみると、、、

いや、、、、つまらない。

そう設えちゃうと、可能性が無くなっちゃいますね。

この二次的利用は、設定されていないことが重要です。
好きにしてね!というスタンスが発明を生むんですね!

***

気をつけなくてはいけないのは、
ただ単純に再利用すれば良いってものでもなくて、
相応しいかどうかの判断は大切です。
先日訪れた鴨川の食道では、お冷やがカップ酒の空きカップで出て来た。
さすがにこれは引きました、、、。


2011年8月20日土曜日

イッソノコト・イッショクデ・イットク?

「青い空」といっても、青だけでできているわけではない。
けっこう複雑な色が絡み合って、自然な空が作られる。
「青い海」も、
「緑の山」も、
「真っ赤な夕日」も、
ほんとは複雑な色彩構成を持っている。

青い空が、本当に青1色だったらヤバイです。
まったく「抜け」を感じないと思うし、
重たいし、閉塞感満点で、絶望感すら感じるかも。

緑の山も、本当に緑1色だったらヤバいです。
自然物には見えないでしょう。


ちょうどこの「中国雲南省の禿げ山緑化計画」みたいな感じになってしまう。
ちなみにこの塗装に日本円で600万円もかけたそうです。

***

人工的な物でも、1色で作られている物は少ない。
というよりも無いかもしれない。
ほぼ全体が1色でできていても、
どこかしらにロゴマークやタグなんかが存在する。

完全に1色だけでできている物を見ると、
なんとなく未完成品のように思えてくる。
例えば、白1色だったら、それは塗装前の状態に見える。
ビビットな色だったとしても、1色であれば、金型成形しただけの素体に見える。
これから仕上げ作業に入のるだろうと、予測します。

目に飛び込む色数は、
ある物を、完成品として認識するための無意識的判断基準になっている一面がある。

ということは、
1色のみで作られている物が日常生活の中に存在すると、
違和感を感じるはず。
出荷される前の物のように見えるはずだから。

そして、その固定観念を刺激すると、結構面白い。





この青いボートは「ora-ito」というアーティストの作品。
通常、世の中に存在する物は、自然物、人工物問わず、
これだけの範囲を1色で構成されているものには、なかなか出会えない。
(計器の白が惜しい。)

この違和感がたまらなく面白いですねえええ。
青いハンドルを初めて見た。
固定観念を裏切ってくれている。

僕が興味をそそられるのは、
このように、1色にしてしまうだけでアートになってしまう可能性が
芽生えるということ。


これはとある雑誌に掲載されていたアート。
こんな風に、緑一色で塗っちゃっても、かなり奥深いアートになりうる。
花、肌、髪の毛の色相差の剥奪が面白いと思える。



これは、うちのオフィスにあるオブジェ。
本をそのまま型取りした石膏製。
某有名インテリアデザイナーの照明作品用のスタディだったものを、
友人からいただいた。
本物の「本」を型取りしているだけあって、
形は超リアル。それでいて白1色。
この違和感が面白い。こんなにリアルなのに虚なのです。

これは存在認識上のギャップであり、
古くから概念としては存在していたことです。
それをわかり易く視覚的に表現してくれる人が
あまりいなかっただけのこと。

この1色化という行為は、
誰もが一度は考えてみたことがあると思います。
本質的に面白くて新しさを生み出す行為は、
古い概念である場合が多い。
そこが奥深い。

***

ちょっと意味合いが違ってくるのですが、
既に流通している物を、1色化して違う需要を生み出しているケースをご紹介。
例えばこれ、

HUBLOT(ウブロ)のオールグリーン、オールブルー、オールブラック。
ビッグバンというシリーズを1色化したもの。
かなりカッコいいです。
1色じゃない元のデザインを知っていれば、面白さは倍増します。


これが普通のビッグバン(いろいろなタイプがあります)。

***

ためしに、こんなのもいいかも。
ゴレンジャー・オールブラック

そしてゴレンジャー・オールブルー

さたにゴレンジャー・オールレッド

実在できたら、
けっこうシュールで面白いと思う。
個々の名前はどうしよう、、、赤レンジャーとか黄レンジャーとか意味ないし。


2011年8月10日水曜日

fractale 外苑西通り編(5・終)

千葉に戻った僕と、
母との二人暮らしが始まった。
正確には小柴さんと三人暮らしなのだが、
彼は、ほとんど家にいなかった。
母は父と結ばれたときからすべてを理解しており、
僕を育て上げることが使命になっている。

父は、千葉には二度と戻らなかった。

「25年後のために動き出します。」
小柴さんはそう告げて、世界中を飛び回っていた。
年に1度くらいの間隔で会うことが出来た程度。

25年後に何かが起きる。
そのときのために僕は生まれたのだ。

***

ぼくは中学を卒業し、高校を卒業し、大学を卒業し、
傍目には、いたって普通に育っていった。

龍蛇族と人間の子である自分の運命を受けとめている僕は、
高校に入ったときから、自分なりの準備をしてきた。

治癒能力を鍛える努力をした。
年に数回、死に直面するようなダメージを自らに科した。

5人の同志もできた。
僕の治癒能力に魅せられ、このお伽噺のようなことを信じてくれた。
僕の鍛錬のサポートをしてくれる。

この5人は僕と同じ大学へ進み、
同じ会社へ就職した、
外苑西通りの会社に。

全ては小柴さんの指示。
就職した会社も小柴さんの会社だ。
その後、5人で独立し、
外苑西通り沿いにオフィスを構えた。
小柴さんの代わりにある準備を進めるために。

***

小柴さんは、
岐阜県飛騨市神岡町に、ニュートリノ(中性微子)を検出する
巨大な地下装置を作った。
表向きは物理学研究だが、このニュートリノこそが、
龍蛇族のエネルギーになる。

ニュートリノを検出するためにはチェフレンコフ放射を使う。
チェフレンコフ放射とは、荷電粒子が物質中を運動する時、
荷電粒子の速度がその物質中の光速度よりも速い場合に光が出る現象である。
そのチェフレンコフ放射を手のひら程の大きさの装置で発生させられる発明を、
小柴さんは秘密裏に成し遂げていた。
一見、金属のボールにしか見えない装置で。

このことにより、どのような場所でも条件が合えば、ニュートリノを検出できる。
しかも、この装置によるチェフレンコフ放射は、
人の脳波に狂いを生じさせることが実証されていた。

もし、このことが発表されたら、人類の進む方向を変えてしまう程の発明だ。

この装置に、僕(龍蛇族と人間の子)の治癒時にでる波動を加えると、
一瞬ではあるが、人の脳をハッキングしたような状態にすることが出来る。
これも長い研究の末に開発された技術だ。
チェフレンコフ放射はニュートリノ以外にも、
人間が発する「気」を検出することが出来るため、
個人を特定してハッキングすることが出来る。

これを僕が意のままに操るための研究を、5人の仲間と進めていたのだ。

***

そして現在、2011年3月8日、
先ほどの東京食品販売国民健康保険組合本部前での爆破事件が起こることは、
前もって小柴さんから知らされており、対応することが出来た。
フェラーリから救った男のことは、僕は知らない。
小柴さんから助けるように指示されただけだった。
爆破を実行した相手が何者なのかも知らない。

そして、今は、有栖川公園の地下にいる。
助けた男はずっと気絶したままだ。

***

有栖川宮熾仁親王騎馬像の台座下の階段を30メートルほど下っただろうか、、、
小学校の体育館程もある基地のような空間が現れた。
幾重にもガラスの壁で仕切られており、
飛行機のコクピットのようなブースが20ヶ所ほど見受けられる。
コンピュータが動く音はするが、人の気配はすくない。
僕が認識できた人数は12人。
奇妙なバランスだ。

床から5メートルくらいの高さにキャットウォークが巡らされており、
全ての場所を俯瞰できる。

体育館のようなアーチ型の天井は、全てがスクリーンになっていて、
いくつもの監視画像、レーダー、何かをカウントしているような数字の群れが、
踊っている。

「ここは警視庁公安部テロ対策本部です、フラクタル」
隊長が言った。

警視庁公安部、、、、
そう言えば、25年前の出雲大社で小柴さんから聞かされたこと、、、
思い出した。

「隊長、ここは龍蛇族の基地ということですか?」

「はい、あなたのための場所でもあります。」

「僕のための?」

「フラクタルたちをサポートする施設と思って下さい。」

「たち?」

「あなたと同じ能力をもつ同志がまだ他にもいます。
その一人は、今、ここへ向っています。」

「そうなのか、、僕だけじゃないんだ」
「それから、まだ、、、、僕は何をすれば良いのか理解していません。」

「すぐにその時が来ます、、焦ることはないです。」


僕は興味深く基地内を見渡し、2分程の沈黙が過ぎたときだった、


突然サイレンが鳴り響く
レーダーが何かを察知した
あらゆる端末の画面には緊急事態を告げるアラートが表示され、
危機レベルが最高値の7であることを告げている。

数秒後、激しい揺れが基地を襲った!

有栖川公園内にある東京都立中央図書館にミサイルが打ち込まれたのだ。

見るも無惨に瓦礫と化したその姿を巨大モニターで見つめる僕ら、、、

大量の書籍が爆風とともに砕け散り、天高く文学の破片が舞っている、
まるで歌舞伎の紙雪のように、、、、
瓦礫は燃え盛る炎に包まれ、そこへヒラヒラと、
書籍の本文用紙が身を投げていく、、、。

その紙雪のなかに一人の男が、、、、

その男は我々の監視カメラの位置を把握しており、
鋭い視線を送っている、、

僕らは男に睨みをきかされているような感覚、

周囲と比較した感じでは、190cmほどはある大男だ。
だが細身であり、黒いマントをはおっている。
男の後ろにはBMW 320i touringが停まっている。男の車だと思われる。
BMW320iは前後配重が50:50という理想のバランスを持ち、
4気筒エンジンは小型故に前輪よりも中心側に設置されている。
つまり、FRにしてミッドシップのような走りを実現している。


「隊長、監視カメラが動かせません、画像も切り替えることが出来ません。」
何者かによて、基地の監視システムとレーダーがハッキングされた。
間違いなく瓦礫の中に立つ男の仕業だ。

男が語り始めた、、、

「私の名前は、柊栄一郎(ひいらぎ・えいいちろう)。
ここの地下に集う龍蛇族へ告げる。君たちは癌だ!
我々は龍蛇族を排除し日本を救う。」


なんということだ、これが小柴さんの言っていた25年後の危機なのか?


僕らに宣戦布告をし、柊は映像から消えた、、、。


しばらくして基地内の監視システムとレーダーのコントロールを取り戻した。
すると、すぐにサイレンが鳴り響いた。
映し出された映像を見て、全員が言葉を失った。

東京湾海上の「海ほたる」にミサイルが打ち込まれた、、、。


そしてほぼ同時に基地スタッフが何かの情報をキャッチした、、、
「隊長、国会議事堂と首相官邸が自衛隊に占拠されました。」



つづく

外苑西通り編(完)
次回は新章のスタートです

この物語はフィクションであり、登場人物、地名は全て架空のものです。

2011年8月9日火曜日

fractale 外苑西通り編(4)

山高帽を被りホワイトアッシュのステッキを持つ紳士が、
僕のことを「フラクタル」と呼んだ。

あまりにも自然に発せられたその低い声、
まったく違和感無く、自分の名前なのだと認識した。
すでに生まれたときからこのコードネームは決まっていたようだ。
それを1985年8月29日の朝に初めて耳にした。

紳士は一体何者なのか?
そして父は、母は、どこへ消えてしまったのだろうか?

二人は三徳山を下山した。

麓に停まっていたのは『いすゞ117クーペ』。
ジウジアーロがデザインした美しすぎる傑作車だ。
イタリアで開催された国際自動車デザイン・ビエンナーレに出品され、
見事名誉大賞を受賞している。


117クーペに乗り込み、出発した。
どこへ向うのかを訪ねると、
出雲大社だと知らされた。

島根県は鳥取県の隣。
さほど時間はかからなかった。

***

出雲大社に着いたとたん、豪雨。
そこに投入堂で見た龍が現れた。

その龍が父だということを、紳士から聞かされた。

父は『龍蛇族』。
人間が地球上に登場するまえから、

この世を守り、仕切り、コントロールしてきた種族。
父はその末裔。 
ここ出雲大社は、世界中に散らばった龍蛇族の本拠地だと知らされた。
つまり父にとっても帰るべき場所なのだとも。

毘沙門天謙信webより


この守護札を見せられて言葉を失った。


「今も龍蛇族が地球上のバランスをコントロールしています。
日本の中枢をコントロールしているのは龍蛇族、
皇室、警視庁公安部、神社は龍蛇族による組織です。
みな人間の容姿をもち、社会構造に入り込み、活動しています。
そのバランスに歪みが生じたとき、
龍蛇族と人間の子をもうけ、
粛正要員として送り込むのがしきたりでございます。」

紳士はさらりと言ってのけた、
この信じられないような話を。

母は、普通の人間だと紳士が教えてくれた。

龍蛇族と人間のあいだにできた子には、特殊な能力が備わる。
強力な治癒能力と、その治癒過程に発せられるパルス(脈動)だ。


さきほどの回復力はそのため。
パルスの放出に関しては自覚が無い。


14年の潜伏期間を経て、開花する能力。
龍の鱗に締め付けられることによって、何かのスイッチが入るのだそうだ。
紳士にもそれ以上の詳しいロジックはわからないそうだ。


「つまり、僕は崩れたバランスを取り戻すための粛正要員なのですか?」

「さようでございます」


なにはともあれ、僕はとんでもない体質を手に入れた。

***

20分ほど過ぎただろうか?
豪雨の中、我々以外には人がいなかった出雲大社は、
すがすがしい晴天となり、参拝客でにぎわっていた。

父の姿はどこにもない。
母は三徳山を登るときから存在が消えている。

***

紳士の名前は「小柴昌俊」物理学者だそうだ。
古くから小柴家は龍蛇族の参謀的役割を担ってきた名家。
小柴家は、何百年もかけて、
宇宙から降り注ぐ龍に必要なエネルギーを採取する技術を開発した。

***

僕と小柴さんは、117クーペで千葉の家へ向った。
16時間ほどで着いた。

「おかえりなさい」

「えっ!?」

僕の大好きな、とても美しくやさしい母が出迎えた。

「たっ   ただいま」

「まってたわよ、フラクタル」

「えっ!?」
もう修ではないんだ、、、。


つづく








2011年8月8日月曜日

ナヤンダラ・クリカエセ

miumiu
TOTO
ハンバートハンバート
anan
ムームー
リンリンランラン
オレオレ詐欺
ミルミル
眠眠打破
強強打破
キンキン
まえだまえだ
ggg
DDD
シュシュ
でんでん
JUJU
トゥクトゥク
Bb
KAKA
COCCO
ボンボン
クスクス
ロミロミ
ウラウラ
蕭蕭
0044 paris
DADA
リーリー
シンシン
レディーガガ
ジジ
Mrポポ
チルチルミチル
シルシルミシル
シュシュ
CCガールズ
CCB
CC-LEMON
SMAP×SMAP
HEY HEY HEY
コイコイ
アイアイ
よむよむ
まるまるモリモリ
ゴキブリホイホイ
ルックルックこんにちは
担々麺
ニンニン
ネネ
ノコノコ
ママ
パパ
ミンキーモモ
ヨーヨー
ルルゴールド
レレレのおじさん
AAA
FF
hhstyle.com
JJ
KKK
LL Brothers
AUDI TT
VVVフェンロ
プリンセスプリンセス
ガリガリ君
オレンジレンジ
品品
KiKi
赤々舎
Francfranc

nano/nano graphics




2011年8月7日日曜日

fractale 外苑西通り編(3)

僕はフラクタル。

本名は、神内 修(こううち・おさむ)。

1985年8月28日、
いまから25年前のこと、、、。

僕の14回目の誕生日。

両親に連れられて、鳥取県東伯郡三朝町にある天台宗の寺院、
三仏寺に向っていた。

当時の我が家は千葉市にあり、
そこから車で鳥取県まで向うには、かるく15時間を要する。
父は車好きで、毎日のように手入れをしていた。
運転も大好きなので、父にはまったく苦痛ではなかった。

母は乗り物に弱く苦痛だったようだ。

愛車は「クライスラーのインペリアルクラウン」。
ウルトラセブンの地球防衛軍車両ポインターのベース車だ。
このシャープなラインは希少価値。
ファミリーカーではない。

僕にとっても自慢だった。

***

三仏寺がある三徳山の麓に着いたのは、日が暮れる間際だった。

三仏寺への道のりは険しく、ロッククライミングさながらの断崖を登る。

日が暮れた。

こんなに暗くては、とてもロッククライミングなどできない。

しかし、父はまるで獣のようにスイスイと登っていく。
しかも、母をおぶって。

僕は目を疑った。
「父さん? だよな」
普段の父の姿とあまりにも大きなギャップがあり、
異次元の生物のような気がした。

そして父は見えなくなった。

はやく後を追わなくては、僕が遭難してしまう。

はやく、、、はやく、、、、

その気持ちとは逆に、どんどん力が抜けていき、意識が朦朧としていく。
「なんだ? なにも考えられない、、、力が入らない」
もはや、自分が立っているのか、座っているのかも解らない状態になり、
なにかツタのような細長いものが体に無数に絡み付いていく感覚を味わった。

ふと気が付くと、僕は三仏寺奥の院の屋根の上に座っていた。

この奥の院は、通称「投入堂」と呼ばれている。
断崖絶壁の中腹、しかも岩壁がオーバーハングしているところにそびえている。
この場所に建築物を建てること自体、平安時代の人間には絶対に無理である。
その場に建てることがむりなので、完成したお堂を投げ込んだのではないか?
ということから、この通称で呼ばれている。

いまだにその建築方法は謎である。

丑三つ時、
月明かりがまぶしい。

月明かりで照らされた自分の腕と足を見る。

「なんだこれは?」

帯状のものに巻かれて締め付けられたような後が、、、。
しかも螺旋状に何重にも。

よく見ると、鱗のような跡がその帯内にうかがえる。

「一体、何がおきたのだろう?」

両親の姿はどこにも無い。

そのときだった、
目の前を、龍が通りすぎた。
体長20メートルはあるだろうか、、、。
まさか、実在するなんて、、、。
そして驚きながら僕は気を失っていった。
遠のく意識の中で、おぼろげに覚えていることは、
そのまま崖の下に落ちていったこと。

50メートル以上ある崖。

助かるはずがない。

***

小川のせせらぎが聞こえる、、

夜が明けたらしい。

「ここは天国か?」

「14歳の誕生日に僕は死んでしまったのか、、、」

朝霧のなかからうっすらと見える人の影。
あの世のお迎えか?

米粒程度の大きさ。
だんだんと近づいてくる。
10分くらいかけてゆっくりと。
倒れているぼくの側にきて、
ようやく顔が見えた。

50歳手前くらいの紳士だった。
その立ち姿、美しい姿勢、それを見れば、
彼がただ者ではないことを容易に感じることができる。
しかも、緊張感と安心感につつまれたオーラを漂わせている。
なぜか、根拠も無く心を許したくなる。

「この人と一緒にいたい」
衝撃的な出来事に遭遇して間もない僕は、すがるよにそう思った。

徐々にぼくは、回復した。
死んではいなかった。
傷が治り、折れた骨がつながり、陥没した頭部は張りを取り戻した。
完治してしまった。

どういうことだろう。

体は健康そのもの。

すくっと立ち上がり、紳士と対峙した。

紳士は、山高帽を被り、ホワイトアッシュのステッキを持っていた。

そして一言つぶやいた、
「フラクタル、、、お待ちしておりました」

このときを境に、ぼくは強力な治癒能力を手に入れ、
紳士と生活することになった。

つづく

2011年7月28日木曜日

fractale 外苑西通り編(2)

外苑西通り、オンサンデーズ前、

5度車にはねられ、全身の骨がくだけた僕は、
10分ほどで、まったくの無傷に回復した。

警察隊の隊長車に、助け出したドライバーと同乗し、
外苑西通りを南下した。

ドライバーは、5度目にはねられたときに再び気絶したままだ。

隊長の首もとには、黒い龍の入れ墨がある。

ぼくは切り出した、
あなたは一体何者なのですか?

隊長は答えた、
あなたにその治癒能力を与えた人から頼まれました。
守るようにと。

その先を聞きたかったのだが、
どうやら目的地に到着したらしい。
有栖川公園だった。

有栖川宮熾仁親王騎馬像の台座が動き、
階段が現れた。
僕らはゆっくりと暗闇の中へ降りていった。


***


そのころ、
茨城空港にLCC(ローコストキャリア)の春秋航空が上海から到着していた。
乗客はまだ降りてきていないようだ。

普段から混むことの少ない茨城空港に、
黒塗りのロールスロイスファントムが30台、
到着出口に並んでいた。
ロールスロイスファントムといえば、
北野たけしやジョンレノンが所有していた高級車である。
それが30台も連なる姿は、異様。

空港ロビーには、強面でスーツ姿、一目でカタギではないとわかる男達が、
50人程散在している。

ようやく乗客が降りてきた。

入国審査を受けず、セキュリティチェックも受けず、
誰にもとがめられること無く、一人の少女が歩いてきた。
なんと、この春秋航空には、その少女以外の乗客はいない。

到着ロビーにその姿が現れたと同時に、
50人の男が、一斉に懐から銃を取り出しかまえた。その少女に向けて。

そして、全員が発砲した。

少女は全身に銃弾を浴びて倒れ込んだ。

しかし、同時に50人の男も倒れ込んだ。のたうちまわりながら。
そして、鼻血をだして気絶した。

空港職員は悲鳴をあげ、みなこの場から逃げた。

5分ほど時間が過ぎた。

そこへ一人の初老紳士が現れた。
山高帽にホワイトアッシュのステッキ。ステッキとしては珍しい。
倒れた少女の前にたち、つぶやいた、

「ジュリア、、、お待ちしておりました」

2分程の沈黙が去った後、

少女は、すくっと起き上がた。

15歳。
コードネーム『ジュリア』
黒いタイトなワンピース、ノースリーブ。
両腕には見てるだけでも重たそうなブレスレットが4つずつ。
金、銀、銅、アルミ。
2センチ程の幅でフラットな表面、シンプルなブレスレット。
黒髪は腰まであり、前髪は眉の上で揃えてある。

「ひさしぶりね、総監」

なんとその男は、日本の第88代警視総監、池田克彦であった。

「あいかわらず、お見事ですな」

「ちょっとダメージをうけすぎちゃったわ」

「いやいやジュリア、このダメージを約10分で回復とは、能力が進化してますな。
さらに、ダメージを受けると同時に発せられるパルスの威力も増している、
50人を一度に気絶させるほどですから。ハッハッハ。」

「さて、急ぎますか、皆あなたをお待ちですよ。」

「そうね、いそぎましょう。フラクタルもいるんでしょ?」

「もちろんでございます。」

ひらりと黒髪をなびかせて歩き出すジュリアの首元に、赤い龍の入れ墨が見える。

空港の外に出ると、ロールスロイスファントムが30台、
全てペシャンコにつぶされていた。厚さ50センチほどにまで。

「総監、やりすぎよ♡」

つづく


2011年7月26日火曜日

らしさ

僕は、
アートディレクションやデザインのような商いを続けておりますが、
それらの仕事は、
「〜らしさ」と「〜らしくなさ」のコントロールのような気がしている。

短絡的には「意外性の使い方」と思いがちだが、
それとは全く違う。

「〜らしさ」と「〜らしくなさ」は相反する物ではなく、
共存しないと新しいステージは訪れない。

例えば、
「この写真集は和風だから、表紙のタイトルは
どう考えても明朝体がしっくりくるよね!(らしさ)」
という判断は世間が認識しているテイストをリピートしていることになるから、
基本的には好きじゃない。

そこには当然、安心感のようなものが芽生えるので、良い面もある。
その安心感をすんなりと芽生えさせるためには、
実はレベルの高い見せ方が要求される。

「らしさ」という山の頂上にむかって突き進んでいるだけでは、
次のステージは訪れない。
というのが持論です。

先述の例えの場合、
単純にゴシックにすれば良いのかというと、
表面的には「らしさ」と逆にいっているのだが、それは違う。

次のステージへ登るために大切なのは、
「らしくないらしさ」を読み解くことだと思う。

僕が思う理想の制作スキームは、
「らしさ」を見極めることから始めるが、
それは「らしくなさ」を見つけるための行為であり、
その後、「らしくなさ」という山に登り始めます。
「らしくなさ」という山の頂上から、
「らしさ」の頂上へ吊り橋を架ける方法を探します。

その結果としてのゴシックであれば、
次のステージに上がったゴシックになっていると思う。
そこには、ステレオタイプの安心感は無いが、
驚きの中に、安心感を植え付けているはずなのです。

*****

自分自身にも「らしさ」を培っていかなくては、、、と思う。
そうすれば、自分の表現の中で「らしくなさ」の相乗効果を作り出せるから。

fractale 外苑西通り編(1)

日本・・・・
東京・・・・

港区・・・・
北青山・・・・
南青山・・・・

渋谷区・・・・
神宮前・・・・
千駄ヶ谷・・・・

思えば、もう15年ほど、
外苑西通り沿いで生きている。
新卒で就職し、その会社が移転、そして独立して会社を設立、またその会社も移転、
15年間で4ヶ所。
全て外苑西通り沿いだ。

2011年3月8日、外苑西通り、
東京食品販売国民健康保険組合本部の前、
「フィアット500アバルト・トリビュートフェラーリ」が停まっている。
宮崎駿の出世作『ルパン三世・カリオストロの城』で、
ルパンの愛車だったフィアット500。
その復刻版をイタリアの改造メーカー「アバルト」が仕立てて、
フェラーリブランドとして限定販売した名車である。

もともと高級車ばかりが行き交う通りなので、とくに珍しさは感じない。
たださすがにこの車はまだ珍しく、若い男性は目を取られている。

僕はフィアット500に歩み寄り、
ドライバーを車外へ引きずり出した。
自動車強盗さながら、腹部に拳を打ち込み、
東京食品販売国民健康保険組合本部のエントランス内部に寝かせて、
自分が運転席に座り、
車を奪取した。

なぜなら、僕は知っている、このあと起きることを。

この自動車強盗劇に周囲は騒然とし、大勢集まってきた。
警察に通報する動きをする人がちらほら。

そこで僕は叫んだ。

「全員離れろ!」

ぼくは運転席に座ったまま何度も繰り返す。
車を人気の無いところへ移動させたいのだ。

自動車強盗の戯れ言など誰も聞き入れない。

12回目に叫んだとき、
爆発した。
フィアット500アバルト・トリビュートフェラーリが・・・・。

爆発の瞬間、周囲の人々は吹き飛ばされた。
周囲は凄まじい光景に一変した。
東京食品販売国民健康保険組合本部の隣、レストラン『to the Herbs』の
オープンテラスには、爆風で飛ばされた人が積み重なり、
うめき声を上げている。

どうやら死者はいないようだ。

そして僕はどうなったか、

当然重傷を負っているが、3分後には歩き出した。

そのとき、警察が大勢こちらに向ってくるのが見えた。

助け出したドライバーを背負ってその場を去った。
次のミッションのために。

***

僕は、怪我がすぐに治る体質をもっている。
この程度の爆発であれば、
肉体がちぎれない限りは、3分程度で治る。

中学2年の夏、この体質を手に入れることとなり、
外苑西通りへ誘われていく運命を受け入れた。

***

気絶したままのドライバーを背負い300メートルほど歩き、
オンサンデーズの前にさしかかったとき、
道路両側にある路上パーキングに停まっていた5台の車が一斉に走り出し、
全てが僕に向って方向転換をしてとまった。
目の前に、1列目2台、2列目3台のフォーメーションで。

おそらく、いや、確実に、僕をひき殺すつもりだろう。

背負っていたドライバーが目を覚ました。
当然だが、猛烈に僕を恐れている。
僕を突き飛ばして逃げようとしたが、
同時に、この状況にも気が付いたようで、
さらに恐怖が増しながらも、身動きが取れなくなっていた。

とにかく僕はドライバーを守らなくてはならない。
前列の2台が走り出した、

ドライバーを抱えこむようにして、車に僕の背中を向けてかがみ込んだ。
2台が立て続けに僕をはねとばす。

1回目20メートル、2回目10メートル程転がった。
残りの3台が突進してきたらもう堪えられない。
僕の治癒能力も追いつかない。

ドライバーだけを走らせても、そこに突っ込まれたら瞬殺。

どうするか、はやく治れ、僕のからだ。
あと3分、、

そんな願いも届かず、3台が順番に僕を跳ね飛ばした。

最後まで彼を離さずに堪え抜いたが、全身の骨が折れている。

先ほどの警察たちがこちらに気が付き、
向ってくる。
それを察知した5台の車は去って行った。

もう動けない。
この重傷が治るには、10分かかる。

だめだ。
警察に捕まって、全ての計画が崩れてしまう。

警察隊の隊長が僕の目の前に立った。
自害するしかない。残った仲間のためにも。僕が口を割るわけにはいかない。

そのとき、隊長が小声でつぶやいた。
「フラクタル、、、、お待ちしておりました」

なぜ、、
僕のコードネームを警察が?

「さあ、いきましょう」

僕は状況を把握できぬまま、つぶやいた。

「あと8分、まってください」

つづく

2011年7月7日木曜日

コビリツイタ・イメージ

シェイクスピア作品でもっともえげつない作品は、
おそらく『タイタス・アンドロニカス』だと思う。

ローマ帝国の武将タイタスに破れたゴート族の女王タモーラが
言葉に表現できないほどの残虐な復讐をする話です。
タイタスの娘ラヴィニアは夫を殺され、さらに強姦され、
さらに口封じのために舌を切られ、おまけに手も切られる。
そして極めつけが、手を切ったあとに、木の枝をくくり付けるんですyo!

映画でそのシーンを見たときに、
両手首が木の枝になって絶望する姿が目に焼き付いてしまって、、、。
(画像が見つからないので、ここに掲載できないのですが)

そのシーンは、凄く残酷な描写なのですが、とてつもなく美しいのです。
その美しさが手伝って、一方的に残酷さが僕の毛穴から入ってくるような、
無抵抗感に支配されました。
そして気持ち悪くなって吐きました。(お食事中の方すいません)

そのビジュアルがずっと頭から離れずにいます。
ちょっとしたトリガーによって、それを思い出してしまう。
辛いんです。けっこう。

たとえば、こいつです。コブラさん。
これを見ただけでも、ラヴィニアを思い出してしまうんです。
コブラ自体はとても好きなんですけどね。とくにラグボールのシリーズは。



そして、こいつも。
なんかむかつく。


そしてウルヴァリンも。



コブラもフック船長もウルヴァリンも、手に何か付いてるから、
原因が分かり易いのですが、
最近は、そのことに限らずに、なんか変なもんが付いてるだけでも、
ラヴィニアを思い出しちゃうんです。

こんなのでもラヴィニア。


そしてこんなのでも。
これハンズフリーフォン?


さらに、人間じゃなくても、本来の姿に異物が融合していると、
ラヴィニアを思い出しちゃう。

例えばこんなの。


さらに世界遺産でも。


あと、最近の女子がやってるネイルアートも、かるくラヴィニアなんです。
もうトラウマですね。

極めつけはこれ。自爪なんだけどね。
うううっ、、吐きそう。


生物はきっと、素体がイチバン美しいと思う。
(この発言は、いろいろな問題を誘発しますが、見過ごして下さいませ。)

ちょっと、意味が違うけど、
工業製品とかも出荷されたときのままが美しい気がする。
改造車とか、携帯のシールカスタマイズとか好きじゃないです。

でも、生物と異物の融合であっても、ラヴィニアの記憶は出てこなくて、
なおかつ僕の中で永遠の美として記憶されており、
ガンダムとともに私をデザイン業界へと駆り立てた写真があります。

これです。

これを初めて見たときはかなり若かった。
ショックでした。素敵すぎて。
そのころは、こういう形をしている義足があることを知らなかった。
美しい。
足の形を模して、足があるかのようにするための義足ではない。
そんなことはもうどうでも良くて、
膝から下が無い人がいかに速く走ることが出来るかということを
追求したフォルムです。
パワーアップアイテムです。

障害に向き合うスタンスを真剣に考えた瞬間でした。

僕の母が、第1級の障害者認定を受けている人なので、
人生観ごと変わったのです。もちろん良い方向にです。

この写真の女性は、我々よりも進化する可能性を秘めていると感じた。
僕にそう思わせたこのデザインに惚れた。

そして何よりも、この写真が美しいことに感動しました。
完璧でセクシーな上半身、鍛え抜かれたヒップラインと太もも。
生命力は僕よりも確実に上です。
ナノナノグラフィックスを立ち上げてからずっと、
会議室にこのコピーを貼っていたくらい好きですし、
もはや自分のスローガンのような存在になっています。
方向性に迷ったときに、幾度となく大切なことを気付かせてくれました。

でも今は、卒業しています。この写真を。
引っ越しを機に貼るのはやめました。いろいろ僕も成長したからね。


2011年6月28日火曜日

ウニモグ&ハニーフラッシュ

ウニモグってご存知でしょうか?
念のため、ウニをモグモグ食べることじゃないです。


メルセデスベンツの車です。
Universal-Motor-Gerät = UNIMOG
直訳すると「多目的動力装置」です。
この「装置」ってところがたまりません。


予備校の先生が飼っていた猫の名前が「ウニモグ」だったので、
そのころから大好きな装置です。


こんな車です。
ずんぐりしたフォルムが最高です。
この写真は新型なのでクール。


ちなみにこれはアーバンウニモグ。
都会的ですかね?


とにかくこの車の走破性能はすごくて、
最大登坂角度は45°だったりします。
そして、「装置」という名に恥じない活躍ぶりを少しご紹介。
あんまりすごいので、いろんなことに使われています。
というか、汎用性ありすぎ。




貨物車の動力の代わりをさせられたり、


京王線もひっぱったり、



国家権力の道具になったり、



餅を踏んでみたり、



ラリーに出場したり、



なんかすごい掃除させられたり、



綿菓子作ってみたり、



戦争してみたり、


どうですか、素敵でしょ?
キューティーハニー顔負けの変身&ご活躍ぶり♡
笑えるレベルです。


ちなみに価格は1600万円くらいです。


(*写真転用、問題ありましたら削除致しますのでご一報ください。)


紳士協定

新宿で、とある展覧会を見た。
なかなか行けなくて、やっと見た。
この作家さんの普段のお仕事は素晴らしいものばかりです。

だが、その展示はものすごくつまらなかった。

なぜだろう。
僕のバイオリズムの問題なのか? 最近体調悪いし。
良いものを敏感に感じ取れなくなってきているのだろうか?
センサーが老化してきたのか?
いろいろと不安になり、考え込んでしまった。
でも、これだけはっきりと好きになれなかった展覧会って稀です。
ほとんどの場合は、良くない展示でも、どこかに良い部分を見つけて、
自分の独特な見解をよりどころにしながら面白がってきた。

その展覧会に関して言えば、
こんな広い空間で、わざわざ見せる必要性が全く感じられず、
一点ずつじっくり見る気もせず、ものすごい短時間で出てしまった。
壁に飾ってまで見せるようなものではない気がした。

***

アートや写真の魅力を最も引き出せる場所は、
美術館じゃないと思う。
あえてしつらえた場所で、「さあ見てください、すてきでしょ!」って顔されても、
作品がかわいそうにすら感じるときがある。
でも、「まあ美術館がそこまで言うんなら見てみましょうかね」と、
自分を騙しながら観賞に入る場合がほとんど。
でも実際に見たときに、意に反して心底すばらしと思えれば、
それはすごいことであり、
美術館は自分の意志ではたどり着けない領域への入り口になりえる。

***

昔から日本人は、自分を騙すことを娯楽として享受できる人種である。
その最たる例が、文楽の人形遣いと歌舞伎の黒子。
「丸見えだけど、見えてないことにしましょう!」という楽しみ方。
一種の「紳士協定」です。
もちろん、人形遣いと黒子の動き自体が、
芸術性の高いものなので面白いし、成立する。
見えないフリをしようと思ったこと自体が、素晴らしい見せ物になっていたら、
意外性が完成度をあげてしまうような、奇跡の相乗効果をもたらします。

***

「自分を騙してもいいかも!」と思わせてくれる力。
それが美術館のような「発表の場」の役割なのかもと思います。

美術館の建築は、その役割を果たすために、素敵でなくてはならないのですね。
入り口が無いと入れない世界は沢山ありますもの。

入り口を沢山の場所へ届ける可能性として、
ザハ・ハディッドの「CHANEL MOBILE ART PAVILION」が気になっている。


これ、移動ミュージアムです。


2011年6月23日木曜日

どうせやるなら

どうせやるならこうだよね。
と思ったこと、

TESLR。
イケイケのスーパーカーのくせに電気自動車♡

TESLR HPより

こんなですもの。
自粛的にエコロジーを捉えているケースが多い中で、
とても将来性を感じる。
ただ、まだかなり高額ですけど。

TESLRは、勇敢なシリコンバレーのエンジニアグループによって、
電気自動車には素晴らしい可能性があることを証明するために
2003年に設立されたブランドです。

200V、3時間充電で400Km走る。
5Km/Lのスポーツカーで例えれば、80リットルの給油分。
けっこう持つよね。
帰宅するたびに充電、行く先々で充電、みたいなことは無いね。
あるていど予測してストレス無く乗れる。

とにかくスポーツカーとしての性能はかなりのもんだそうで、
とんでもない加速力と制動力だそうです。
エンジン音が無い状態での加速は、異様な感覚だそうです。
すいません、ぜんぶ「だそうです」で。
こんど試乗してきます。

で、こんなことが書きたいのではなくて、、、。
TESLRのホームページにこんな画像があって、、、。

TESLR HPより
ちょっといいっす。
ソーラー屋根の車庫。停まっているのはバリバリのスポーツカー。
ぐっと来ました。
なんかいい。なんて言ったら良いかわかんないけど。
しいて例えるなら、ラピュタにいる巨大ロボットが小鳥に優しくして、
花を踏まないようにしている感じかな。


どう? 伝わった?


2011年6月22日水曜日

イノチノミナモト

人間の体を支えているもの。
命の源。

食事
呼吸
排泄
睡眠
生殖

人間をひとつの生物と見た場合はこんなところか。
でも
これらを命の源だと思うことは、違うと思う。


食事は、栄養を摂取する行為で生きて行くために必要なのだが、
命の源となりうることとは違う気がする。
大好きな人と素敵な空間で、幸せな会話をしながら食べることとか。
3歳の姪っ子がぐちゃぐちゃにしながら作ったおにぎりを、
美味しいね、上手だねって嘘つきながらたべたりとか。
友人が最後の楽しみに取っておいたお弁当の卵焼きを、
「えっ、卵焼き嫌いなの?」と言いながら横から強奪して食べるとか、、、。

食事を媒介にして起こる素敵出来事のほうに、
命の源があふれていると思う。


呼吸は、体内臓器を機能させるために必要な行為なのだが、
命の源となりうることとは違う気がする。
険しい森をかきわけてたどり着いた湖のほとりでの呼吸とか。
悪いやつに追われていて、かがんで隠れながら息を止めていて、
やり過ごせたときに吸い込む安堵の呼吸とか。
グランドキャニオンを見たときにのみ込んだ息とか。
ラマーズ法とか。
誕生日にろうそくを消すとか。

呼吸を媒介にして起こる素敵出来事のほうに、
命の源があふれていると思う。


排泄は、不必要な物を捨てて、新たな摂取のキャパを設ける行為なのだが、
命の源となりうることとは違う気がする。
西の河原の湯の中で、こっそりと放出するそれとか。
大草原のど真ん中でする野○ソとか。
家の便所で谷川俊太郎を読みながら放出するそれとか。

排泄を媒介にして起こる素敵出来事のほうに、
命の源があふれていると思う。


睡眠は、体の疲労をリセットし再起動するための準備なのだが、
命の源となりうることとは違う気がする。
3万円のオペラをメトロポリタンで見たのだが、
あまりに素晴らしすぎて、開始10分で眠りについてしまい残念なときとか。
電車で隣に坐っている美人キャリアウーマンが眠ってしまい、
僕の肩にもたれてきたとき、うれしくて動揺して自分も眠ったふりをしていたら、
本当に眠ってしまうときとか。
高速道路を運転中に、急激な睡魔が襲ってきて次のSAまでもたせようと、
自分を殴りながら、命からがらSAにたどり着き、やっと眠れるときとか。

睡眠を媒介にして起こる素敵出来事のほうに、
命の源があふれていると思う。


生殖は、子孫を残し、さらに快楽を得るためにおこなう繁殖行為なのだが、
命の源となりうることとは違う気がする。
ヽ(゚∇゚(゚∇゚(゚∇゚o(゚∇゚)o゚∇゚)゚∇゚)゚∇゚)ノなときとか。
(。-_-。(。-_-。(。-_-。(。-_-。)。-_-。)。-_-。)。-_-。)なときとか。

生殖を媒介にして起こる素敵出来事のほうに、
命の源があふれていると思う。

***

既にあるテーマを心眼で見ることが大切で、
全ての物が繋がっていると認識できるとき、
本当に伝えるべきことが見えてくるんだね。

じつはそこがスタート地点なんだね。

***

●今日の柿ピー
「10:0」もわるくない。


2011年6月21日火曜日

あおっぽくてふんわりしたかんじ

注)かなり身勝手な解釈の文章ですので、読んだら忘れて下さい。
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「青っぽくて、ふんわりした感じ」
最近そんな写真が多い。
プロ、アマ問わず、多い。
流行っぽい蔓延。たしかにおしゃれにも見える。

世の中で流行る創作活動に共通していること、
それは、「自分にも出来そうな感じ」です。

例えば代表的なのが、
陶芸
書道
写真
ではないだろうか?
どれも、プロの作品を見たときに、
なんとなく出来そうな気がしてしまう人が多いのではないか。

僕の場合は、かなりおめでたいので、
サッカーを見ても、野球を見ても、ゴルフを見ても、
なんとなく出来そうな気がしてしまう。
テレビに食い入るように見て、技術を盗もうとまでしている。
出来ないくせに。
バカです。

でも、今あげた3つのスポーツは、
日本ではアマチュアの競技人口がものすごく多い。
それって、見ているうちにやってみたくなる人が多いってことです。
つまり、「俺にも出来そう」と思う人が多いということだろう。

その昔、
空を飛ぼうとして亡くなったひとは沢山いた。
両手に羽を付けて。
鳥を見て、「俺にも出来そう」と思ったに違いない。

「俺にも出来そう」という気持ちは、
麻薬のような効能がある。
自分のキャパを超えてみようとする、
もしくは超えられそうだと思う錯覚を抱かせる。
犬ですら、飼い主と走っているとき、ちょっと小高い段差に飛び乗って見せると、
同じことをしようとして、届かずに落ちることがある。
これって「俺にも出来そうだワン!」って思ったってことです。

***

この「俺にも出来そう」感は、その世界を甘く見ていることに繋がるのだが、
結果的に、そういう人が増えれば増えるほど、
その道を究めた人の素晴らしさが浮き彫りになる。

***

冒頭で語ったように「青っぽくて、ふんわりした感じ」を作風にしている写真家、
もしくは、写真愛好家って多い。
多すぎてもう食あたり気味です。
好きになりそうな写真も、結構見かけるのですが、
似たり寄ったりな物が多すぎる。
もちろんその中には社会的地位を確立している人も沢山いるのですけどね。

そもそも表層的な部分でカテゴライズしている僕がおかしいのですが、
あえてそういう心の狭い視点で見てみるのも面白いです。

で、
先日入手した写真集を見て思った。
この写真家さんは、浮き彫りになった人なのだと。
とにかく素晴らしい写真集なのです。
これを見たら、「俺にも出来そう」とは誰も思わないでしょう。

僕は常々思っている、
写真は複数を組むことで成立する文学だと。
もちろん偏った意見ですが、僕はそう思う。
その思いを完璧に肯定してくれた写真集だったのです。
しかも、その見開きに現れてくるリレーションは、
マッチング的な薄い意図ではなく、
根源的というか、先祖帰りというか、
ずうううっと向き合っていないと感じられないことを、
感じさせてくれた。
きっと、ずうううっと向き合っていることが
好きな人じゃないと、この感じは生み出せない気がする。

その写真集の写真家さんご本人の話でも、
脈絡の無い撮影を繰り返しながらも、
頭の中では、それを繋ぎ合わせるための編集作業のようなことを
ずっとし続けていると言っていた。
「カメラがこの世から消滅したら、何で自己表現しますか?」
とお聞きしたら、「文章」とお答えになりました。

やっぱ文学だ!

***

「青っぽくて、ふんわりした感じ」って、ほとんどが自然光の写真です。
日本では「自然光」と言えば太陽光のこと。
その種の人はだいたい太陽の光によって「青っぽくて、ふんわりした感じ」を
出している。この段階の解釈はみんな出来る。

欧米での「自然光」の意味は一寸ちがう。
写真業界に限っての解釈ですが、
撮影者が意図して作り出した光以外の全てを「自然光」と言うそうです。
つまり「その場の光」のことです。
素敵すぎる!!!!。ぞくぞくする。
本質がそこにある気がする。それこそまさに「自然光」です。
ちょっと言葉遊びっぽいけどね。

この「その場の光」という深い感じを、見る人に与えてくれる写真って少ないです。
たとえコントロールしていない光で撮影した写真だとしても、
なかなかそう感じるものはない。

***

前述の写真集は全て「その場の光」で出来ていた。


2011年6月15日水曜日

カシカってオカシカ

このところの話題と言えば、放射線量。
目に見えない恐怖。
いろいろな情報は入ってくるけど、
実際には見ることが出来ないので、
どれだけ汚染されているのかわからないのが現実。
体調不良や奇形植物が登場しだしてから、
被害を実感するのがおちだろう。

この世界には、目に見えないものが多い。

もしも、今、放射線を見ることが出来たら、、、。

イメージ的には黄色。
地面から5センチくらいの厚さで、黄色いモワモワした層が
遠くの方まで続いている。
薄く積もった雪のように。
そこを子供が駆け抜ける。すると、コンサートステージのドライアイスのよに、
黄色いモワモワは舞い上がり、横にいる通行人の鼻の中に入っていく。
散歩している犬なんかは、黄色いモワモワに浸かりっぱなし。

見えれば対策の施しようはある。怖いけど。

***

最近とっても気になっている言葉「可視化」。
見えないはずのものが見えたら、、、
と想像すると、いろんなインスピレーションが生まれる。

「携帯電話の電波」が私的には一番見たいものです。
窓から外を眺めると、きっと辺り一面、
電波が描くラインが張り巡らされているはず。
なんとなく私のイメージだと、携帯電波は「ライン状」であってほしい。
着信する地点まで、遠くの方から電波を可視化した龍のような生き物が
うねりながらこっちに向ってくる。ファルコンみたいな。
ついでに半透明の発信者の名前が龍の正面に浮かんでいて、
誰からの電話かが着信の前に識別できたら面白い。
そんなイメージ。
町中にはそんな電波龍が無数に飛び交っている。
朝から昼にかけて、だんだんその数は増えていって、
午後2時ごろには、多すぎて前が見えないくらいになる。
電波龍のせいで、通常の視界が無くなってしまい、交通事故多発。
飛行機墜落。犬は棒に当たる。

でも、夜12時過ぎには、まばらに飛び交う電波龍が美しく、
こっちに来てほしくて、誰かに電話させたりする。
こっちから電話するときは、基地局に向けて電波龍が耳の横から発進する。

先日の大地震のようなときは、そこら中でこんがらがってほどけなくなって、
フリーズしている電波龍がかわいそうに見えることだろう。

おもしろいね。

***

常に存在するものが可視化されたら、大変なことになる。
「空気」とか。
空気が可視化されたら、、、。
例えば真っ黒だったら、基本的に視界はゼロ。
墨汁の海の中にいるようで、身動きとれません。
一時的に狭い範囲を真空化するような、携帯型の装置が開発されて、
それを目の前にかざしながら歩くことになるのかな。
でも、真空のエリアにむかってまわりの大気が吸い込まれるから、
目の前はずっとブラックホールみたいになるね。

***

すこし話がお伽になりますが、
映画や漫画が大好きな私的には、
「言葉」と「気持ち」が可視化できると、たのしい。
カメハメ波も夢じゃないかも。
言葉も、ギャートルズみたいに空に浮かんでほしい。
一番の希望は、
想像したことが、「想像吹き出し」のなかにビジュアル化されてほしい。
そうすると、仕事が楽だ。


思いついたらすぐに頭の上にこれが出る。
プレゼンも楽。例えばこんな感じって、想像すればみんなに見せられる。

考えてみると、漫画って見えないものの可視化だらけだね。
効果線とか、擬音とか、怒りをこらえるときのムラムラ線とか、
投げキッスするとハートが飛んでいったりとか、
おならするとキノコ雲みたいなのがお尻から出たり、
殴られると頭上に星が出たり、

漫画ブラッディーマンデイでは、ハッキングしてサーバに潜入する過程を
ハヤブサが防壁をかいくぐって飛んでいく姿で表現している。
失敗すると、ハヤブサが捕まっちゃうんですね。
わりとこの表現、好きです。

攻殻機動隊なんかは、ネット世界の概念を可視化しまくりです。
セカンドギグの久世がおこなった並列化はクラウド的思考で、
それを可視化したビジュアルは感動です。

改めてすごいですね。漫画って。

なんだか最近、漫画やアニメのネタばっかりな気がするね、このブログ。

2011年6月9日木曜日

シト襲来

何だこれは?
どうみても宇宙生物に侵略された地球の図です。



これは、昨年オープンしたフェラーリテーマパーク@アブダビ
なのですが、、、、、、。

有機的な形といい、ビビットな色といい、
完全にヒトデ型の「シト」です。
これから、人間やビルを食べながら成長を続け、
どんどん巨大化し、数年後には地表を全て覆い尽くすのです。

ついにこの時が来た!
マジャスティック12(米政府内対宇宙人研究機関)が、
密かに60億人が暮らせる地下都市を築き上げていたのだ。
いそげ!
人類の存亡をかけて、決断する時が来た!
この地球外生物に対向するために、、、
将来、地上を取り戻すために、、、
今は地下で辛抱し、研究し、我々は進化し続けるのだ。

所変わって、総理官邸。
一本の電話が鳴った。トゥルルル、、、。カチャ。

オバマ:ヨッ、カンチャン!
オレダヨオレ、オバマダヨ。
トーホクノトキハ、ズイブント、ワレワレノシエンヲ、ホゴニシテクレタネ。
デモイマハ、ソンナコトイッテルバアイジャナイネ。
ニッポンジンニモ、チカトシ、ヨウイシタヨ。
ナマエハサシズメ「ジオフロント」ッテコトデドウヨ。
ニッポンノオタクハヨロコブダロ!

官なおと:オバマさん、すんません。日本は避難しません。
(借りを作るといろいろ不利になりますから)

オバマ:ナンテコッタ!
コクミンノイノチヲダイイチニカンガエロヨ!

官なおと:オバマさん、すんません。
年金ごまかせるし、このまま成り行きで、、、。
一定の目処がたったところで、
若い人に責任を引き継いでもらって、、、。

オバマ:ダメダコリャ!

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ちなみに、この「シト」の中には、
世界最速ジェットコースターがあるんですってyo!



それにしても、この有機的な外観と、周囲の大地との対比は素晴らしいの一言です。
そもそも私は、古い町並みや建造物に、
ビビットなバナーやアートがあしらわれているルックスの虜でして、
単純明快な「対比」のすばらしさを表現しながら、
良い未来をイメージさせてくれるのです。

例えば、V&Aのエントランス


例えば、メトロポリタンのバナー

いいね、最高。

フェラーリパークも最高。
このフェラーリパークって宇宙人からもきっと見えるよね。