2011年5月21日土曜日

アフリカン・ユニフォーム・ナウ

私、スポーツ観戦が好きなのですが、
スポーツ自体の面白さよりも、ユニフォームを見るのが好きなのですね。
まあ、スポーツに限ったことではないのですが、、、。
先に断っておきますが、制服マニアとかのハイレベルな人達とは違いますので、
誤解のないようにお願いします。

で、
最近、気になっているのがアフリカ諸国のサッカー代表ユニフォームです。
やたらとプーマ製が多いのは、普段から豹を見慣れているからかな?
気のせいかもしれないが、プーマはアフリカンによく似合うデザインが多い。

毎年、各スポーツブランドは、世界共通フォーマットを作ります。
契約国はそれをベースにそれぞれの国らしさを加えて出来上がるのが、
ナショナルチームのユニフォームです。
それで特に2010-2011年のプーマのフォーマットは秀逸です。

右肩だけ異なる袈裟懸けっぽいデザイン。日ハムっぽいとも言うかもね。

ホームはソリッドで、アウエイは広い間隔で配置された2色の縦ライン。
そして、このプーマフォーマットのユニフォームで、
特に奇をてらわず、そのまま受け入れているにもかかわらず、
すごく素敵な2国が、エジプトとアルジェリア。

これがエジプト。



これがアルジェリア。

どちらも提供フォーマットそのまんまです。
でもすっごくカッコいい。
どちらも国旗の配色を素直に使っただけなのに、最高。

フォーマットの優秀さを痛感します。

そして、プーマベースに手を加えて、
さらに加速したデザインを生んだガーナ代表。

これ、一見格好わるいんだけど、
試合中の人の動きをより躍動的に見せる優れものです。


そしてこっちの白いのがホームタイプ。
これはこれでかなり素敵です。
こちらも試合中の見え方が最高です。★ってあなどれませんよ。
ガーナの国旗は★なので、ホームタイプは理解できるが、
アウェイタイプには、ガーナとしての記号が全くない。色も関係ない。

この大胆な、なおかつ思いつきっぽいやりっ放しな感じが
アフリカっぽいのですね。
日本人には真似できない芸当です。
日本代表のユニフォームも、日本的記号は希薄ですが、
ホームとアウエイの関連付けはしっかりしている。
ブランディングの方法論としては正しいけど、
伸びしろがない感じがする。

同じく、プーマベースに手を加えている国の一つに、
有名どころのコートジボアールがある。

これがホーム。コートジボアールと言えばこのオレンジとグリーン。
国旗の色ですね。


そしてこれがアウエイ。
横縞になっちゃった。でも、
国旗色で韻を踏んでいるから、ガーナよりはちょっと大人です。


繰り返しますが、本当にどれを見ても
フォーマットの優秀さを痛感します。
この袈裟懸けのような右肩の斜め線のおかげで、
まとまりを維持できていることが見て取れます。

そして極めつけがアフリカ統一ユニフォーム。
おおうちおさむの選ぶ、ベストユニフォームです。


見てお分かりと思いますが、大地と空を表現しているデザインですね。
まぁ、なんてアフリカンなことでしょう!
そして、なんと、なんと、
大地を駆け巡り、空に向って大きくジャンプしているような、
豹(プーマ)の姿があるじゃございませんか!!!!。
「これがやりたくて、
プーマと契約したんだな!こいつらは!」
と叫んでしまいました。

本当にかっかっこいいですうう。
デザインコンセプトはさることながら、
このインチキ臭いグラデーション。
健全なスポーツっぽくない、病んだ感じ。
これをアフリカ統一チームのユニフォームにするのだから、
素敵なやつらでございます。

2011年5月15日日曜日

ドウブツ ト ヒト

先日、
友人の愛猫が心肺停止した。
主の人口呼吸で甦生し、なんとか一命をとりとめた。
僕も一度遊んでもらったことがある猫ちゃんなので、
吐き気がするくらいびっくりして、その夜ずっと祈っていた。
元気な猫ちゃんの姿を思い浮かべていた。
およばずながら送念させてもらっていた。
助かって本当に良かった。

一番大変だった友人には申し訳なく、大変不謹慎なのですが、
このことをきっかけに、
いろいろと考え、学ばせていただきました。

僕にも愛してやまない愛犬のシアンがいる。
このような話を聞く度に、シアンに重ね合わせてしまう。
シアンが心配停止したら、僕は冷静に人工呼吸をできるだろうか?
無理だ。僕が気絶しそうな気がする。

友人の猫ちゃんは原因不明でした。
こわいけど、原因不明の重体の話はわりと良く聞く。

動物は、人間が思っている以上に、我々に対して何かを伝えようとしている。
きっと人間が理解してあげているのはほんの一部なのだと思う。
それと同様に、動物達は人間には全く理解できない何かといつも対話をし、
ときには戦っている。
だから、原因を究明できないことが起こりうるのかな?

僕は動物が異次元と繋がっていることに確信を持っています。

とにかく、できるだけ一緒にいてあげて、
冷静に人工呼吸をできる男になりたい。

昨夜、シアンが雨に濡れて冷えちゃったから、
お風呂に少しお湯をはって暖めようとして、
風呂桶にシアンを入れたままお湯を溜めているのを忘れてしまい、
気が付いたら水深70センチの底にいて、、、がんばって泳いで上昇して、
息継ぎをしようとするがすぐ力つきて沈んでしまい、それを繰り返している。
そんな夢を見た。
シアンが何かを伝えている気がする。
今日は家に帰ろうと思う。

ガンダムが好きなんですが何か?

小学校低学年のときにガンダムに出会ってから30年ほどの月日が経ちました。
いまだに色あせないガンダムへの思い。
これほど長い間、何かを好きでいたことって、、、親くらい?

小学生時代にガンダムを見ていなかったら、
デザイナーになっていなかったかもしれません。



幼い僕がガンダムから学んだことを羅列してみる。

宇宙の仕組み
重力のこと
空気のこと
宇宙では摩擦が無いから止まらないこと
宇宙植民地の仕組み
酸素欠乏症の成れの果て
政府と反政府ということ
連邦っていうこと
戦死者は二階級特進すること
人は塩がないと生きていけないということ
大気圏に落ちると燃えること
全長18mのロボットが地球上で空を飛ぶのは大変なこと
主役ロボットも弾切れすること
悪役にも人生があること
大人よりも子供の方が感受性が高いこと
ミノフスキー物理学(架空)の概念
シドミードのこと
油性塗料とシンナーのこと
プラスチック成形技術のこと
ドーピングや薬物依存の怖さ
臆病はときとして盾になるということ
必殺技の名前を叫ばなくても敵をやっつけられること

まだまだあります。きりがないです。
すこしあげただけでもこれだけたくさん思いつく。
小学生にとっては鮮烈極まりない作品でした。

でもやっぱり、ガンダムの最大のテーマと言えば、
「人間は生活環境が変わると新しい能力を備える」です。

ガンダムは人口が増えすぎた地球から、宇宙植民地へ移住して、
それぞれの植民地が国家のような機能をもつまでに進んだ時代の話です。

「君は地球生まれかい?」
という言葉にドキドキした記憶があります。

そんな中、植民地で育った人と、地球で育った人では何かが違うのです。
思考や身体能力など。
そして、前後左右が不明瞭で、
さらに無重力の宇宙空間での戦闘を体験する中で、
新しい適応力が芽生えます。進化です。
あの有名な「ニュータイプ」ってやつです。
これが、漫画にありがちの行き過ぎた能力ではないので、
そこにリアリティを感じてしまいます。
目が不自由な人の「気」を読む力、座頭一のようなもので、
強力な「勘の類い」なのです。

結局、主役のアムロレイは、戦争の英雄にも関わらず、
その能力が強すぎて、行動監視付きの生活を強いられることになるのですけどね。

人類の永遠のテーマとも言える進化論。
ダーウインのような根源的なことは置いておいて、
小さな進化は日常的にちょこちょこ起きている。
慣れとか上達って、進化でしょ?
人はまだまだ進化すると思います。

ガンダムはこの能力を軸に話が進められるのですが、
ニュータイプへ進化する人は希で、なかなかいません。
したがって、お決まりのように、人工で能力を開発する実験を繰り返し、
人造ニュータイプを作り出します。
とても残酷に描かれています。

そして今年、『ガンダムUC』という作品を拝見しました。
そこでは、ニュータイプの能力を消してしまう機能が組み込まれた
ガンダムが登場します。
進化した人類の能力を、同種の人類が打ち消そうとする。
いろいろな比喩が含まれていますね。

3年前くらいに、尊敬するインテリアデザイナーさんから、
「宇宙人の友達がいる」という話を聞かされたことがある。
始めは半信半疑でしたが、あまりにも具体性があり、
しかも尊敬している人からの言葉なので、すこし信じています。
そのお友達は、宇宙人というよりは、特殊な能力を持った人でした。
その特殊能力を求めて、ペンタゴンから月1くらいのペースで
お呼びがかかっているそうです。
詳しくは書けません。書きたいですが、、、。
このブログが不当に削除された場合は、このネタがタブーだったとお察し下さい。

という訳で、我々が知らないだけで、じつは人間レベルを越えた能力者は沢山いて、
社会のバランスを保つためにひそかに役目を果たしている可能性が高いです。

ニュータイプ、、僕も目指します。

2011年5月10日火曜日

森のように

「森を計画するように、建築を考えてみる。」

この言葉は、
石上純也著『建築のあたらしい大きさ』の一説です。

最近注目されている建築家ですが、
こんなにも素敵なことを考えている人だとは知りませんでした。

石上さんの文章を引用しながら、拙文を書かせていただきますと、

壁、柱、天井、床、扉、窓。
通常、だいたいこれが、建築内部を構成している要素なんだけど、
これらの配置は厳格な原理のもとに決定されていて、
住人は空間の使い方は迷わないんですね。

でも森の場合は、
木や植物の配置は厳格な自然の原理のもとに決定されているのだろうけど、
そこに住む動物達は、草や木がそこにある理由を厳密に知らなくても
合理的に生活している。

それは建築とは大違い。

例えば建築の場合は、壁が二つの空間を仕切るものだとすぐにわかるが、
森のなかでは、なぜこの木がここにあるのかはよくわからない。
でも、いずれ、それぞれの動物にとっての常道が築かれて、
テリトリーのようなものも出来上がる。
壁や道のようなものは、
どこまでも深く続いていく複雑性のなかで
あたらしい関係性として築かれていくものなのですね。

共感。

石上さんは、それを建築で実践しているのです。
2000平米のワンルームに、305本の全て形が異なる柱を立てる。
まさに人工の森ですね。
そこを使っている人たちを観察するスタディです。
まっすぐ行けるのに、あえてぐねぐねと歩き出したり、
一度通ったルートを、気付かぬうちにリピートしていたり、
空間の中に、習性が作り出した目に見えない間仕切りを感じ始めます。

柱が空間を作り出すのか、
人の動きが空間を作り出すのか、
植物なのか、家具なのか、
その関係性は複雑で容易に把握できない。
そういう空間の不安定さを意図的に建築の中で計画していく方法を
模索したのだそうです。

石上さんは「いままで建築ではなかったものを建築に変えていく。
そういう可能性について考える」と言っていて、
私的には、建築界にあたらしい次元がはじまる予感がしています。

とても文学的な建築論。
大好きになりました。

2011年5月9日月曜日

ヒト・が・イルコト

所詮「ヒトの考え」に過ぎませんが、、、。

お魚くわえたどらネコ〜♪
でも、ネコは水が嫌いです。
魚なんか捕れません。
ヒトが与えたんですね。

イヌは美味しそうにミルク(牛乳)を飲みます。
でも、イヌは牛の乳首をくわえません。
ヒトが与えたんですね。

こういうヒトの行為って、生態系に属するのかしら?
ヒトも自然物だし、、、。

小学校のとき、飼育係の肉屋の息子が、鶏にササミをあげていた。
ヒトのせいで、かるく共食い。

うちのシアンちゃんは食パンが大好き。
ヒトに出会わなければ、絶対に食べることは無い。
イヌ科としての本来の生態には、食パンは登場しないだろう。

やっぱり人間は、生態系の破壊者なのか?
食べ物とうんこのサイクルとしては機能できるのかもしれないけど、、、。

そもそも生態系って何だ?

どこまでがそれなのか?

ネコに魚をあげるのも、その一環とは言えないのかな?
この世に生を受けた以上、ヒトを含めた全ての生態は相乗効果を生むはず。

食って、うんこして、死んで、死体が土に還って、、、。
我々人間が、そこに美意識を感じているから、それを崇拝するのだと思う。
ヒトはそこから外れて反省している方が、
美意識の欲求を満たし易いのかもしれない。
特に日本人は、自然に神を見出すのでなおさら。

さて、ここからが本題。

かわいいイヌをみると、なでなでしたくなる。
あごの下、眉間、背骨の脇、耳の付け根、などなど、
やさしく丁寧になでてあげると、ほんとうに気持ち良さそうな顔をして、
「もっと、もっと」と言わんばかりに、部位を向けてくる。
そしてそのうち眠ってしまう。かわいいね。

これって、「お魚くわえたネコ」 と同様の行為です。
ヒトが存在しないところで、この快楽は無い。
たとえ、鼻先が器用でマッサージが上手なゾウさんがいたとしても、
眉間をなでながら、耳の付け根をかるく揉むことは不可能です。

ネコに魚をあたえるような、直接的介入ではないので、
生態に対しては無害、しかも動物は大喜びなのだから、
関わり方としては最高だと思う。
食物連鎖的なことよりも、
ヒトに与えられた役割としては、プライオリティが高い気がします。

かわいい動物をみると、なでなでしたくなるのは、
ヒトの手に与えられた最高の機能です。


先日、通りすがりのイヌをなでようとしたら、飼い主にいやがられたので、
その態度を改めさせるために書いたブログでした。

わかったかぁ!(怒)
今度はなでさせろぉ!
イヌは待ってるんだぜぇ!

2011年5月5日木曜日

サマ?

最近、買い物をして領収書をお願いすると、
「お宛名様はいかがいたしましょうか?」と聞かれる。
お宛名様????
これって正しい敬語なの?

予約やおとり置きのときも、
「お名前様を頂戴できますでしょうか?」と聞かれる。
お名前様????

「宛名はどのようになさいますか」
「恐れ入りますがお名前を教えていただけますか」
調べた結果、これがベストらしいです。

手当り次第に「様」を付ける猪突猛進なへりくだりは、
乱暴です。
なんでも客の物には「様」さえつけておけば良いと思ってやしないか?

試しに客のものに全て様をつけてみると、

「お客様のお荷物様はこちら様でございます。」

「ご注文様のお品物様はこちら様になります。」

「お客様のお犬様が店内でお糞様を落とされまして、、、」

「お客様のヨン様様の写真集様がお席様にお忘れになられておりまして、、」

「王様のお耳様はロバ様のお耳様」

変だけど、一生懸命な感じがして、
ぶっきらぼうにされるよりは好感が持てます:)

2011年5月4日水曜日

攻殻機動隊=インセプション=無意識 おちなし。

先日、小○館の西洋美術系凄腕編集者のTT氏から、
「これぞJAPAN COOLと言える作品だから、必ず見た方が良い!」
とのお告げを受け、その晩の24:00の回を見に、WALD9へ足を運んだ。
何を見たかというと、
『攻殻機動隊S.A.C. SSS』という数年前に作られた作品の3D版。
3Dの効果が半端じゃなく生かされていて、見事でした。
ディズニーとかの3Dなどよりも、完成度が高いと感じました。
TOY STORYみたいな立体的CGの3D効果とは違って、
ほぼ平面のいわゆるアニメ絵を3Dにした方が、その効果が顕著に出ることが
発見でした。
想像力で補完しながら見るので、より立体的に感じます。

3D効果の話はこれくらいにして、
内容のお話を少し。

ほとんどの人がご存知だと思いますが、
この攻殻機動隊S.A.C.シリーズを一言で表すと、「電脳化社会の犯罪捕物帳」です。
「電脳化」とは文字通り脳を電子化することです。
そして脳自体がネットに接続されていて、
頭の中でアクセスし、情報を得たり、映像を送ったり、
会話をしたり(声を出さずに)、
我々がパソコンを使っておこなっていることを脳内でやります。
それが一般化された社会で起こる犯罪。
たとえばハッキングをされると、脳の中をのぞかれる。
または、記憶を改ざんしたり、見えている物を加工したりできるのです。
会話している相手をマイケルジャクソンだと思わせることも可能です。

銀行強盗に入るために、銀行内と建物周辺にいる人全ての脳をハッキングして、
強盗犯である自分の姿をパンダに変えてしまうことも可能なのです。

『攻殻機動隊S.A.C. SSS』には、こんな話が出てきます。
老人の孤独死を回避するために、自動介護システムを装着して、
健康管理を電脳経由で政府関係機関がおこないます。

そこに、虐待等で存在が危うくなった子供を誘拐し、
記憶を改ざんして、その老人の孫もしくは息子に仕立てます。
実はその子供たちは、薬物の人体実験のサンプルにするために誘拐され、
身寄りの無いお年寄りの親族として存在を希薄にされ、
薬物実験の事実を隠蔽します。
老人が死ねば、その子が遺産を相続します。
そうやって財産を吸い上げ、また別の老人のもとへあてがわれます。
酷い話です。

そんな中で、自動介護システムに繋がった大勢の老人の『集団的深層無意識』と
いうものが、人格を帯びて、新たな犯罪を犯します。
ここがおそらく攻殻機動隊シリーズのキモなのではないかと思います。
過去作品にも、クラウドと同じ理論と思えるような
集団的深層無意識の接続の話などもありました。

「無意識」というものはとてつもないポテンシャルを秘めていて、
何をしでかすか解らない。意志が無いので抑止がきかない。
現在の我々の生活でも同じことを感じる。

たまたま最近『インセプション』のブルーレイを見た。
この作品は、攻殻機動隊のコンセプトに近いことを「夢」の中でおこなっている。
「ネット」を「夢」に変えただけとも言える。きっとパクったと思います。
インセプションでは、夢を共有できる。
他人の夢に入り込める。そこで、アイデアや重要な記憶を盗む企業テロの話です。

通常、人はここが夢なのか現実なのか判断できないままに行動する。
夢ってそういうものですよね。
そこに犯罪目的に侵入してきた敵がいても、
仲間を装ってしまえば、疑うことはしない。
つまりなされるがままになってしまいます。

そこで夢のテロ対策として、「無意識の武装化」という言葉が出てくる。
それは訓練で体得できるそうで、その結果、無意識を武装化できるのです。
企業の要職に就く人はみな訓練を受けるのです。

どういうふうに武装するかというと、
自分の意志とは関係無しに、夢の中に銃を持った戦闘員が勝手に配備されて、
犯罪目的で夢の中に侵入してきた人物を識別して攻撃します。

「無意識の武装化」この言葉だけでお腹いっぱいです。

たまたま立て続けにこの2本を見たので、
無意識に対する興味が湧いています。

おちなし。