2011年5月28日土曜日

モットキレイダッタハズナノニ(長文御免)

NICKERのポスターカラー(デザイナーズカラー)


美大出身(平面デザイン系)の人は、
これを見ると青春が甦ってくるんじゃないでしょうか?

これの発色って、とんでもなく美しいのです。
高校生のときに初めて使って感動したことを思いだします。
高校生の自分なんて、それまで大したことに触れてきていない
ベベちゃんでしたので、
色の美しさの認識レベルが低かった。
ほんとうに驚いた。

僕の高校は美術系。
週14時間くらい美術の授業がある。
だからカエルやフナの解剖とかやっておりません。
数学も、数1しかまともにやっていません。
そのせいか、いまでもお金の計算ができません。

この頃の時期って、なんとなく大人になりかけていて、
周囲をとりまく文化も変わってきていて、
ほんのすこしずつ、本物っぽい物が登場し始める。

部活ひとつとっても、本格的になる。

35ミリのモノクロフィルムを現像して、四つ切りに焼いたのも、
この頃が初体験。
それまでは、写真屋さんのサービスプリントレベルしか体験していないので、
手焼によって表現される高解像度に感動し、
想像以上に細かいところまで描写できていることに、驚きました。

***

ポスターカラーは、今は使いません。
仕事としてデザインを手がける上で、
大量生産の必要があり、表現手段が印刷になりました。
たまにシルクスクリーンなども使いますが、
ポスターカラーで最終形態を仕上げることはまず無いです。

オフセット印刷の仕上りを見て、いつも思うのは、
もっと綺麗だったはずなのに。
ということ。

僕がお付き合いさせていただいている印刷屋さんは、
どこもクオリティが高く、責任感が強く、向上心も持ち合わせていて、
かなり素敵なところばかりなのですが、
どうしても、心のどこかでポスターカラーと比べている自分がいるのです。

「三つ子の魂百まで」とは良く言ったもので、
多感な時期に得た感覚はずっと持続する。

ポスターカラーを一番多く使った時期は、浪人の頃。
ほぼ毎日触れていた。
美大受験の世界では、バウハウス式の平面構成が主流で、
幾何形態に付加価値を与えるような表現の延長線上で、
多種多様なテーマが出題される。
(最近はちょっと違うみたいですけど)
ジョセフアルバースやモンドリアンなんかをイメージしていただければ近いと思う。

ジョセフアルバース
モンドリアン

ある意味、テクニックではなく、センスの世界です。
あとは、「1を作って10を感じさせる」ようなことが大事。
そんなプリミティブな表現の中では、色の彩度は重要なカギを握る。
デザインの勉強を始めた頃は、
好きな色を作るために、混色を追求して、
自分だけの色を生み出していた。
それはそれで自信があったし、評価もしてもらえた。

でも、学ぶにつれて、明度を下げるには、黒を混ぜるのではなく、
反対色を混ぜることなどを知り、色自体のもつ深さをなんとなく理解し始める。
そして、行き詰まる。
その後、
色は単体での美しさには限界があり、組み合わせてこそ可能性が開ける
というあたりまえのようなことを、
理屈ではなく、体感として理解します。

この段階に来たとき、
以前は拘っていた「混色」という行為に魅力を感じなくなるのです。
どう見ても、ポスターカラーはチューブから出したままの色が
一番美しいからです。

混ぜれば混ぜる程、濁る。
まるで人生観のようですね。

その日から僕はポスターカラーコレクターとなるのです。
NICKERは全色揃えた。
NICKERにない色は、STABILOを中心にホルベインとか、
聞いたことも無いような海外ブランドのものまで、
とにかく、混色しなくても、欲しい色を見つけられるようにしたのです。

オフセット印刷でも、4Cプロセス(CMYKの掛け合わせ)は濁る。
やっぱり混ぜると濁るんです。
全部特色(欲しい色のインクをそのまま使って印刷する)は大変美しい。
チューブから出したままと同じですね。
(オフセット印刷は、人の努力によって想像を超えたものが
できる場合があるので、基本的には大好きです。)

その反面、どうしてもなじめないのがオンデマンド印刷。
カラーレーザー出力のような印刷方法で、短納期、ローコストです。
やむを得ない応急処置的に利用するのは仕方ないかもしれないし、
目的と合致していれば有効な技法なのですが、
理由もなくこれがデフォルトになっている場合がある。
オンデマンドを十分に美しいと感じてしまっている人がいる。

せつない。

美しい色に触れたことが無いのだろうか?
「ほんとは嫌だけど、許せる範囲なので使います」と言ってほしい。
もしくは「あえてこの濁りを利用します」とか。
(僕の個人的わがままですので、ご容赦下さい)

また、オフセット印刷だとしても、色校正を出さずに、
ただ単純に印刷するだけでものが出来上がっているケースが増えている。
コストカットの手段としてやむを得ないのかもしれないが、
これも、「ほんとは嫌だけど、やむを得ないので色校正は見ません」
と言ってほしい。

***

デジタル技術が大きく進歩した昨今、
ある側面は退化している気がする。

昔は美しかったものたちが、廉価版として蔓延している気がする。
その区別がつきにくい環境になっている。
以前、このブログでも語らせていただきましたが、
そろそろリーズナブルな時代に幕を下しませんか?
利益に流されずに、意識的に品格を作っていく必要性を感じます。

明治とか昭和初期の素人写真って、いいものが多いですよね。
たんなる家族写真とかも素敵な写り。
コンデジとか使い捨てカメラとか無くて、
お父さんが持っているのはリンホフとかライカのレンジファインダーとか
ローライのブローニーとかなのだろうと思う。
レンズも安物なんて存在しないから、必然的にいいレンズを使うのだろう。
リーズナブルじゃないことの素敵例です。

ぼくも、まずはコンビニ弁当をやめようかな、、、、。無理かな。



1 件のコメント:

  1. 大賛成。
    コンビニ弁当の依存度を下げる事も合わせて大賛成。
    夢の話やバカばなし、クルマの話や美人の話。
    そーいう大事な話をしながら美味しいゴハン食べる時間も大切かもね。
    色は混ぜると濁る。なるほどなぁ。「濁る」と「深みが出る」は紙一重、というか、同じ事の違う側面ですね。
    歳を重ねる以上、単色、ピュアではいられない、いたくない。
    いい具合に混ざっていきたいものです。

    返信削除