2011年6月28日火曜日

紳士協定

新宿で、とある展覧会を見た。
なかなか行けなくて、やっと見た。
この作家さんの普段のお仕事は素晴らしいものばかりです。

だが、その展示はものすごくつまらなかった。

なぜだろう。
僕のバイオリズムの問題なのか? 最近体調悪いし。
良いものを敏感に感じ取れなくなってきているのだろうか?
センサーが老化してきたのか?
いろいろと不安になり、考え込んでしまった。
でも、これだけはっきりと好きになれなかった展覧会って稀です。
ほとんどの場合は、良くない展示でも、どこかに良い部分を見つけて、
自分の独特な見解をよりどころにしながら面白がってきた。

その展覧会に関して言えば、
こんな広い空間で、わざわざ見せる必要性が全く感じられず、
一点ずつじっくり見る気もせず、ものすごい短時間で出てしまった。
壁に飾ってまで見せるようなものではない気がした。

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アートや写真の魅力を最も引き出せる場所は、
美術館じゃないと思う。
あえてしつらえた場所で、「さあ見てください、すてきでしょ!」って顔されても、
作品がかわいそうにすら感じるときがある。
でも、「まあ美術館がそこまで言うんなら見てみましょうかね」と、
自分を騙しながら観賞に入る場合がほとんど。
でも実際に見たときに、意に反して心底すばらしと思えれば、
それはすごいことであり、
美術館は自分の意志ではたどり着けない領域への入り口になりえる。

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昔から日本人は、自分を騙すことを娯楽として享受できる人種である。
その最たる例が、文楽の人形遣いと歌舞伎の黒子。
「丸見えだけど、見えてないことにしましょう!」という楽しみ方。
一種の「紳士協定」です。
もちろん、人形遣いと黒子の動き自体が、
芸術性の高いものなので面白いし、成立する。
見えないフリをしようと思ったこと自体が、素晴らしい見せ物になっていたら、
意外性が完成度をあげてしまうような、奇跡の相乗効果をもたらします。

***

「自分を騙してもいいかも!」と思わせてくれる力。
それが美術館のような「発表の場」の役割なのかもと思います。

美術館の建築は、その役割を果たすために、素敵でなくてはならないのですね。
入り口が無いと入れない世界は沢山ありますもの。

入り口を沢山の場所へ届ける可能性として、
ザハ・ハディッドの「CHANEL MOBILE ART PAVILION」が気になっている。


これ、移動ミュージアムです。


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