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2011年12月27日火曜日

タイヒ・ト・リレキ

JRというアーティストの作品集を買った。
ずっと気になっていた人で、ようやく作品集に出会えた。
『WOMEN ARE HEROES』というプロジェクトを本にまとめたものです。

『WOMEN ARE HEROES』はこんな本です

男性優位の社会で虐げられる女性達の現状を伝えるため、
女性達にインタビューとポートレート撮影を行い、
町の壁や屋根に巨大ポートレートを貼付けるプロジェクトを続けている。
そのメディアは列車のボディ、橋、自動車、道路、階段など多岐にわたる。
このプロジェクトは参加可能型であり、
女性はモデルを務め、子ども達はグラフィティの貼付けをして参加する。
スラム街や紛争地域などで活動する事で、
虐げられた人々の強いメッセージを伝えている。


この作品がわりと有名ですね。
初めて見たときにすごすぎて絶句しました。
スラムの屋根にポートレートを貼っています。


これなんかも最高にクール!
もうむちゃくちゃにすごい。

この作品集は、女性のインタビューと、もとになったポートレートと、
それを使った作品をセットで見る事ができる。

インタビューとポートレート
そのポートレートをプールの底にはりつけた作品。
これもそうとうカッコいい。
アートブックとしてもかなり面白い。

今までも沢山このようなメッセージアートはあった。
すごく気の利いたものや、考えさせる工夫が施されているもの、
なんだかんだでこのジャンルには豊富な表現がある。
でも、ろくでもないものばかりが目に付く。
例えば、最近ちょいちょい見かける動物愛護団体のヌードなんかは、
全然共感できないし魅力的じゃない。
裸なのでそりゃ目を引くけど、僕には露出狂にしか見えない。

闘牛反対!を裸で訴えてみました。

裸で牛の形を作って抗議!血も出てるよ!
僕は動物が大好きで、理不尽な扱いから救いたいと常に思っているけど、
闘牛のように歴史と文化のなかで育まれたことに対しては、意見を持たないようにしている。
そこには否定できない価値が詰っていて、
それはまぎれもなく人類の財産だからです。
(人の都合でものを語るなと言われると思うけど、、、)

この『WOMEN ARE HEROS』は「人」を救うために「人」が行っている抗議です。
「対象が動物じゃなくて人なら肯定するのか?」と言われそうですが、
「人」の場合は、「裸で寝転がって絵を描いてみました」的な
上から目線のユーモア(語弊があると思うけどあえて言います)が通用しないのです。
とてつもなくデリケートで、ひとつ間違えると、
守りたい対象を深く傷つけてしまう。

『WOMEN ARE HEROS』はすばらしい。

直接人が騒がず、無言のまま、アートのインパクトで感じさせる。
下手すると殺されかねない政府手つかずのヤバい地域にとけ込むところから始めて、
結果的に住人総出でアートを作り上げている。

大都市の路上で警察に許可をもらって裸で寝転がるのとは訳が違う。
しかも、見た事の無い光景を見せてくれる。
僕が大好きな『クリスト』のような感動がセットで付いてくる。

クリスト『包まれたライヒスターグ』ベルリン
***

僕が考える「これからの表現」として大切な要素は、
以前このブログでも触れている「対比履歴」。
闇雲に新しい物を生み出すのではなく、
「関係性」を見えるものに昇華していく行為が求められていると思う。

『WOMEN ARE HEROS』には、対比と履歴の両方がある。
ボロボロの町並みや、密林の集落に突然現れるモノクロの巨大な人の顔。
ものすごいミスマッチが、ものすごい衝撃的な対比構造を生んでいる。
しかも巨大なので、だれも無視できないルックスになっている。
そして、その作品はそのまま放置されて、自然に老朽化し、朽ち果てて行く。



こんな感じでぼろぼろになってもそのまま。
抗議なので、できるだけ長く掲示することが大切であり、また、
住人たちの手で作られているので、誰も不快に思っていない。
むしろ誇りに思っている。そのことも抗議の強さに繋がっている。

まさに「履歴」が表現に昇華されているのです。

とてもしっかり完成された抗議のスキームなのだと思ってしまう。



作品集の表紙にもなっているこの作品がたくさんのことを物語っている。

お買い求めはONSUNDAYSで。

2011年9月20日火曜日

ヨックモック的クリエイティヴィティ

ヨックモックの缶、うちの実家には沢山ある。
うちのクライアントさんのオフィスにもあった。
兄の家にもある。
僕の師匠の家にもあった。

ほぼ全員が、名刺やハガキの整理箱にしている。
ほかにもいろいろなお菓子の入れ物が、同じような再利用をされているが、
ヨックモックがダントツに多いような気がする。

なんとなくサイズ感が良いのだろうか。

本来の役目を終えてからも使い続けられるモノって、素晴らしいんじゃないかと、
常々思っている。
逆に言うと、それを意識した物作りが21世紀的プロダクトなのではないだろうか。

それを模索する映画が『ブッシュマン』ですね。
あのコーラの瓶、最高です。

****

小学生の頃、牛乳パックを沢山集めていた。
それは、ロボットを作るため。
程よい数がたまるたびに、巨大ロボが完成する。
今思えば、厚紙とかでも作れたのに、わざわざ牛乳パックがたまるのを待っていた。
はじめから成立している牛乳パックの直方体の姿に、
ロボットのパーツを見出していたのだろう。
リアルに作り込むよりも、牛乳パック感が残るところに面白みがある。

プラモデルも沢山作っていたけれども、
牛乳パックには何とも言えないロマンがあった。

トランスフォーマーなんかを見ても、
もとの自動車のデザインが残っているからこそカッコいい。


このもとが解る感じ、かなり大事なポイントのような気がする。

例えば古紙とか、ペットボトルウールとかに代表される、
もとをわからなくして新しい何かに作り替える類いの物にはない
面白さと可能性を感じる。

***

先日、仲のいい編集者のO.Y.さんが、打ち合わせのときにMacBookAirを出して、
起動させるのかと思いきや、パカッとふたを開けたら、
そこにはA4サイズの書類が沢山挟まっていた。
すげーーー!バインダーにしちゃってる。パソコンなのに。
しかも打ち合わせ中、一度も起動せず、
紙の書類をまたもとのようにMacBookAirに挟み込んで鞄へおさまっていった。
完全にバインダーの役目だけでした。
MacBookAirのボディ素材は飛行機に使うくらいの剛性があるので、
絶対に折り曲げたくない重要書類を挟むにはうってつけですね。
火にも強そうだし。

「大火事に見舞われてもこの書類だけは無傷だったよ、
パソコンは動かなくなっちゃったけどね。」

ということがおきたりすると、鳥肌もんのパラドックスです。

また、別な人の話ですが、iPadをノートに挟んで下敷きにしている人もいました。
メモ機能満載のハイテクマシーンを下敷きにして紙に鉛筆でメモを取る。
すごいパラドックス。
でも素敵!!

***

話を最初に戻しますが、
ヨックモックとコクヨとかが手を組んで、
サイズがちょうど良くできている「名刺入れになるお菓子の缶」を
始めから設計してつくるのはどうだろうか?
と想像してみると、、、

いや、、、、つまらない。

そう設えちゃうと、可能性が無くなっちゃいますね。

この二次的利用は、設定されていないことが重要です。
好きにしてね!というスタンスが発明を生むんですね!

***

気をつけなくてはいけないのは、
ただ単純に再利用すれば良いってものでもなくて、
相応しいかどうかの判断は大切です。
先日訪れた鴨川の食道では、お冷やがカップ酒の空きカップで出て来た。
さすがにこれは引きました、、、。


2011年8月20日土曜日

イッソノコト・イッショクデ・イットク?

「青い空」といっても、青だけでできているわけではない。
けっこう複雑な色が絡み合って、自然な空が作られる。
「青い海」も、
「緑の山」も、
「真っ赤な夕日」も、
ほんとは複雑な色彩構成を持っている。

青い空が、本当に青1色だったらヤバイです。
まったく「抜け」を感じないと思うし、
重たいし、閉塞感満点で、絶望感すら感じるかも。

緑の山も、本当に緑1色だったらヤバいです。
自然物には見えないでしょう。


ちょうどこの「中国雲南省の禿げ山緑化計画」みたいな感じになってしまう。
ちなみにこの塗装に日本円で600万円もかけたそうです。

***

人工的な物でも、1色で作られている物は少ない。
というよりも無いかもしれない。
ほぼ全体が1色でできていても、
どこかしらにロゴマークやタグなんかが存在する。

完全に1色だけでできている物を見ると、
なんとなく未完成品のように思えてくる。
例えば、白1色だったら、それは塗装前の状態に見える。
ビビットな色だったとしても、1色であれば、金型成形しただけの素体に見える。
これから仕上げ作業に入のるだろうと、予測します。

目に飛び込む色数は、
ある物を、完成品として認識するための無意識的判断基準になっている一面がある。

ということは、
1色のみで作られている物が日常生活の中に存在すると、
違和感を感じるはず。
出荷される前の物のように見えるはずだから。

そして、その固定観念を刺激すると、結構面白い。





この青いボートは「ora-ito」というアーティストの作品。
通常、世の中に存在する物は、自然物、人工物問わず、
これだけの範囲を1色で構成されているものには、なかなか出会えない。
(計器の白が惜しい。)

この違和感がたまらなく面白いですねえええ。
青いハンドルを初めて見た。
固定観念を裏切ってくれている。

僕が興味をそそられるのは、
このように、1色にしてしまうだけでアートになってしまう可能性が
芽生えるということ。


これはとある雑誌に掲載されていたアート。
こんな風に、緑一色で塗っちゃっても、かなり奥深いアートになりうる。
花、肌、髪の毛の色相差の剥奪が面白いと思える。



これは、うちのオフィスにあるオブジェ。
本をそのまま型取りした石膏製。
某有名インテリアデザイナーの照明作品用のスタディだったものを、
友人からいただいた。
本物の「本」を型取りしているだけあって、
形は超リアル。それでいて白1色。
この違和感が面白い。こんなにリアルなのに虚なのです。

これは存在認識上のギャップであり、
古くから概念としては存在していたことです。
それをわかり易く視覚的に表現してくれる人が
あまりいなかっただけのこと。

この1色化という行為は、
誰もが一度は考えてみたことがあると思います。
本質的に面白くて新しさを生み出す行為は、
古い概念である場合が多い。
そこが奥深い。

***

ちょっと意味合いが違ってくるのですが、
既に流通している物を、1色化して違う需要を生み出しているケースをご紹介。
例えばこれ、

HUBLOT(ウブロ)のオールグリーン、オールブルー、オールブラック。
ビッグバンというシリーズを1色化したもの。
かなりカッコいいです。
1色じゃない元のデザインを知っていれば、面白さは倍増します。


これが普通のビッグバン(いろいろなタイプがあります)。

***

ためしに、こんなのもいいかも。
ゴレンジャー・オールブラック

そしてゴレンジャー・オールブルー

さたにゴレンジャー・オールレッド

実在できたら、
けっこうシュールで面白いと思う。
個々の名前はどうしよう、、、赤レンジャーとか黄レンジャーとか意味ないし。


2011年7月7日木曜日

コビリツイタ・イメージ

シェイクスピア作品でもっともえげつない作品は、
おそらく『タイタス・アンドロニカス』だと思う。

ローマ帝国の武将タイタスに破れたゴート族の女王タモーラが
言葉に表現できないほどの残虐な復讐をする話です。
タイタスの娘ラヴィニアは夫を殺され、さらに強姦され、
さらに口封じのために舌を切られ、おまけに手も切られる。
そして極めつけが、手を切ったあとに、木の枝をくくり付けるんですyo!

映画でそのシーンを見たときに、
両手首が木の枝になって絶望する姿が目に焼き付いてしまって、、、。
(画像が見つからないので、ここに掲載できないのですが)

そのシーンは、凄く残酷な描写なのですが、とてつもなく美しいのです。
その美しさが手伝って、一方的に残酷さが僕の毛穴から入ってくるような、
無抵抗感に支配されました。
そして気持ち悪くなって吐きました。(お食事中の方すいません)

そのビジュアルがずっと頭から離れずにいます。
ちょっとしたトリガーによって、それを思い出してしまう。
辛いんです。けっこう。

たとえば、こいつです。コブラさん。
これを見ただけでも、ラヴィニアを思い出してしまうんです。
コブラ自体はとても好きなんですけどね。とくにラグボールのシリーズは。



そして、こいつも。
なんかむかつく。


そしてウルヴァリンも。



コブラもフック船長もウルヴァリンも、手に何か付いてるから、
原因が分かり易いのですが、
最近は、そのことに限らずに、なんか変なもんが付いてるだけでも、
ラヴィニアを思い出しちゃうんです。

こんなのでもラヴィニア。


そしてこんなのでも。
これハンズフリーフォン?


さらに、人間じゃなくても、本来の姿に異物が融合していると、
ラヴィニアを思い出しちゃう。

例えばこんなの。


さらに世界遺産でも。


あと、最近の女子がやってるネイルアートも、かるくラヴィニアなんです。
もうトラウマですね。

極めつけはこれ。自爪なんだけどね。
うううっ、、吐きそう。


生物はきっと、素体がイチバン美しいと思う。
(この発言は、いろいろな問題を誘発しますが、見過ごして下さいませ。)

ちょっと、意味が違うけど、
工業製品とかも出荷されたときのままが美しい気がする。
改造車とか、携帯のシールカスタマイズとか好きじゃないです。

でも、生物と異物の融合であっても、ラヴィニアの記憶は出てこなくて、
なおかつ僕の中で永遠の美として記憶されており、
ガンダムとともに私をデザイン業界へと駆り立てた写真があります。

これです。

これを初めて見たときはかなり若かった。
ショックでした。素敵すぎて。
そのころは、こういう形をしている義足があることを知らなかった。
美しい。
足の形を模して、足があるかのようにするための義足ではない。
そんなことはもうどうでも良くて、
膝から下が無い人がいかに速く走ることが出来るかということを
追求したフォルムです。
パワーアップアイテムです。

障害に向き合うスタンスを真剣に考えた瞬間でした。

僕の母が、第1級の障害者認定を受けている人なので、
人生観ごと変わったのです。もちろん良い方向にです。

この写真の女性は、我々よりも進化する可能性を秘めていると感じた。
僕にそう思わせたこのデザインに惚れた。

そして何よりも、この写真が美しいことに感動しました。
完璧でセクシーな上半身、鍛え抜かれたヒップラインと太もも。
生命力は僕よりも確実に上です。
ナノナノグラフィックスを立ち上げてからずっと、
会議室にこのコピーを貼っていたくらい好きですし、
もはや自分のスローガンのような存在になっています。
方向性に迷ったときに、幾度となく大切なことを気付かせてくれました。

でも今は、卒業しています。この写真を。
引っ越しを機に貼るのはやめました。いろいろ僕も成長したからね。


2011年6月5日日曜日

漆・麗し

4年前くらいに、とある仕事で「蒔絵」の特集をしたことがある。
そのときに、輪島塗の「輪島屋善仁」八代目に話をお聞きした。
様々な漆にまつわる話はどれも興味深いのだが、
何よりも、
「漆を食器に使う意味」の話が印象に残っている。

古来から日本人は漆黒のなかに、宇宙を見出してきた。
宇宙とは、「無限の広がり」と同意。
その宇宙で出来た器に汁や飯を盛り、
体内にかきこむ。

食材は自然物。
自然物を神格化してきた日本人。
神を宇宙のポテンシャルとともに体内に取り入れるのです。

その結果、両者の相乗効果によって、
栄養素が無限に広がるということなのか。

とにかく、食器に使うことが素晴らしいと力説していた。
かき込むように食べろともいっていたような。

****

みなさんもご存知のとおり、
漆は塗料としては極めて優秀です。
見た目の美しさにくわえて、
耐久性がある。
腐敗作用がある。
接着効果もある。

その逞しい能力の中で、
私が気になるのが、「腐敗作用」。

昔、自分自身のミイラを仏像と化する即身仏を目指す僧侶達が、
死んで即身仏となる直前に自分自身が腐らずにミイラ化するように
漆を飲んで防腐したという。
この修行僧たちは、日頃から防腐に対する対策を続けている。
タンパク質が少ない木の実だけを食すのです。
即身仏化とは生きたまま徐々にミイラ化していく行為でして、
脂肪がとけて、筋肉が朽ちて、徐々に死んでいく。
想像を絶する苦痛を伴うのだろうと思う。
そんな中、仏に変わるために、読経を続け、
腐らないように死んでいくための自己管理を続けるのです。

****

スポーツ選手って、
毎日、基礎体力維持のために、ジョギングをしたり、
それぞれが決めた目標のための準備を続けます。
理想の体を維持するために食事も規制する。
一度やめたらなかなか取り戻せない。

音楽家もそう。
音大の友人は、ヴァイオリン科でして、夏でも手袋していた。
体育の授業は基本的に全て不参加。
自転車ものらない。
字もなるべく書かなかった。
彼女が決めた目標のために。

きっとこれらって、
腐らないように死んでいくための自己管理なのかなと思う。
(死=目的)
大成したのに腐っている人って結構いるからね。

目標を成し遂げられる直前に、
漆を飲みたい。
腐敗を防ぐから。
その先に劣化することがなくなるから。
決めたことを全うする意志が備われば、
それぞれにとっての「漆」が何なのか、解るのだろうね。

グラフィックデザイナーの自分にとってのジョギングって何かな?
本読んだり、映画見たり、旅をしたり、美しい物を見たり、、、。
全部楽しいことばかり。
なんか違うな。
もっと我慢するようなことって無いかな?
観察力維持のために、たまにデッサンをするくらいかな。
でもそれも楽しいな。
やっぱり無いな。
睡眠が足りないくらいだな。
もっと辛くないと雰囲気でないね。

今は良くわからないから、
とりあえず4年前の、お話を聞いた次の日から、
ご飯と味噌汁は、両方とも漆塗りの大きめの椀で食べています。
理由抜きに、お米は漆塗りで食べるのが一番おいしいと思う。
漆って、外国名「JAPAN」だし、
世界中のみんなが解っている気がする。

多分、俺、腐りにくいよ。
よく、人間も、お肉も、果実も、腐る直前がいちばんいけてるって言うけど、
俺は腐らないから、ずっといけてないかも。

2011年5月30日月曜日

だったらコンクリでいいじゃんか

擬木(ギボクって読むのかな?)ってご存知ですか?
池を囲む柵とか、公園の柵とか、
観光地のお城や花壇の柵とかでよく使われている、
コンクリートでできた「木」のことです。
だいたい丸太状です。

自分、どうもこれが嫌でして、視界に入ると不快になるンす。

木そのものだと、耐久性や強度に不安がある。
池の柵は腐る。崖の柵は折れたら死人がでる。
良好な状態で維持するにはお金がかかる。

Mr.X:そこで思いつきました!
コンクリートでできた偽物の木を使いましょう!

オレ:何でやねん。
木じゃないんだったら、
木ぶるな!
正々堂々と、コンクリート製の柵を作れよ。
コンクリートの良さを前面に出した、シャープなやつをよ。

Mr.X:いやいや、それでは暖かみが無いでっしゃろ?
木の良さを残したいじゃないですかああ。

オレ:だったら木を使えよ。

Mr.X:いやいや、それでは手入れに費用が、、、。

オレ:コンクリート然とした造形でも、暖かみを出せるぞ!
擬木のコンクリート製の樹皮にペンキが塗ったくってある感じが、
鳥肌もんで嫌です。

****

自分、ろうそく型の電球が付いているシャンデリアも、
視界に入ると不快になるンす。

あんなに沢山のろうそくに、本物の炎を付けていたら、火事連発です。
高いところから熱いロウが落ちてくるときもあるし、
頻繁に取り替えなきゃならない。たいへーーーん。

Mr.X:そこで思いつきました!
ろうそくの形をした電球を使いましょう!

オレ:何でやねん。
ろうそくじゃないんだったら、
ろうそくぶるな!
正々堂々と、ろうそく型じゃない電球で点灯する素敵な照明を作れよ。
シャンデリアみたいに沢山付いていてもいいけど、
ろうそくの形にしないで、電球然とした美しさを求めろよ。

Mr.X:いやいや、それでは暖かみが無いでっしゃろ?
ろうそくの炎の良さを残したいじゃないですかああ。

オレ:だったらろうそくを使えよ。

Mr.X:いやいや、それでは維持に費用が、、手間が、、、。

オレ:ろうそく型じゃない電球を使った照明でも、
ろうそくの炎に負けない暖かみは出せるぞ!
要は捉え方の問題だ。
無い物をねだるのはつらい。ねだるんだったら本物を使おうよ。
偽物の炎しか使えないのであれば、本物の電球を追求した方が幸福は近いと思うよ。

でも、偽物のおかしさを逆手に取ってクールにするのはOKだけどね。
こんなふうに。



それとね、ろうそくの偽物でも、徹底的にやっちゃえば、ぼく、何も言えません。
こんなのとか。

そんなバカラ、、、。


2011年5月28日土曜日

モットキレイダッタハズナノニ(長文御免)

NICKERのポスターカラー(デザイナーズカラー)


美大出身(平面デザイン系)の人は、
これを見ると青春が甦ってくるんじゃないでしょうか?

これの発色って、とんでもなく美しいのです。
高校生のときに初めて使って感動したことを思いだします。
高校生の自分なんて、それまで大したことに触れてきていない
ベベちゃんでしたので、
色の美しさの認識レベルが低かった。
ほんとうに驚いた。

僕の高校は美術系。
週14時間くらい美術の授業がある。
だからカエルやフナの解剖とかやっておりません。
数学も、数1しかまともにやっていません。
そのせいか、いまでもお金の計算ができません。

この頃の時期って、なんとなく大人になりかけていて、
周囲をとりまく文化も変わってきていて、
ほんのすこしずつ、本物っぽい物が登場し始める。

部活ひとつとっても、本格的になる。

35ミリのモノクロフィルムを現像して、四つ切りに焼いたのも、
この頃が初体験。
それまでは、写真屋さんのサービスプリントレベルしか体験していないので、
手焼によって表現される高解像度に感動し、
想像以上に細かいところまで描写できていることに、驚きました。

***

ポスターカラーは、今は使いません。
仕事としてデザインを手がける上で、
大量生産の必要があり、表現手段が印刷になりました。
たまにシルクスクリーンなども使いますが、
ポスターカラーで最終形態を仕上げることはまず無いです。

オフセット印刷の仕上りを見て、いつも思うのは、
もっと綺麗だったはずなのに。
ということ。

僕がお付き合いさせていただいている印刷屋さんは、
どこもクオリティが高く、責任感が強く、向上心も持ち合わせていて、
かなり素敵なところばかりなのですが、
どうしても、心のどこかでポスターカラーと比べている自分がいるのです。

「三つ子の魂百まで」とは良く言ったもので、
多感な時期に得た感覚はずっと持続する。

ポスターカラーを一番多く使った時期は、浪人の頃。
ほぼ毎日触れていた。
美大受験の世界では、バウハウス式の平面構成が主流で、
幾何形態に付加価値を与えるような表現の延長線上で、
多種多様なテーマが出題される。
(最近はちょっと違うみたいですけど)
ジョセフアルバースやモンドリアンなんかをイメージしていただければ近いと思う。

ジョセフアルバース
モンドリアン

ある意味、テクニックではなく、センスの世界です。
あとは、「1を作って10を感じさせる」ようなことが大事。
そんなプリミティブな表現の中では、色の彩度は重要なカギを握る。
デザインの勉強を始めた頃は、
好きな色を作るために、混色を追求して、
自分だけの色を生み出していた。
それはそれで自信があったし、評価もしてもらえた。

でも、学ぶにつれて、明度を下げるには、黒を混ぜるのではなく、
反対色を混ぜることなどを知り、色自体のもつ深さをなんとなく理解し始める。
そして、行き詰まる。
その後、
色は単体での美しさには限界があり、組み合わせてこそ可能性が開ける
というあたりまえのようなことを、
理屈ではなく、体感として理解します。

この段階に来たとき、
以前は拘っていた「混色」という行為に魅力を感じなくなるのです。
どう見ても、ポスターカラーはチューブから出したままの色が
一番美しいからです。

混ぜれば混ぜる程、濁る。
まるで人生観のようですね。

その日から僕はポスターカラーコレクターとなるのです。
NICKERは全色揃えた。
NICKERにない色は、STABILOを中心にホルベインとか、
聞いたことも無いような海外ブランドのものまで、
とにかく、混色しなくても、欲しい色を見つけられるようにしたのです。

オフセット印刷でも、4Cプロセス(CMYKの掛け合わせ)は濁る。
やっぱり混ぜると濁るんです。
全部特色(欲しい色のインクをそのまま使って印刷する)は大変美しい。
チューブから出したままと同じですね。
(オフセット印刷は、人の努力によって想像を超えたものが
できる場合があるので、基本的には大好きです。)

その反面、どうしてもなじめないのがオンデマンド印刷。
カラーレーザー出力のような印刷方法で、短納期、ローコストです。
やむを得ない応急処置的に利用するのは仕方ないかもしれないし、
目的と合致していれば有効な技法なのですが、
理由もなくこれがデフォルトになっている場合がある。
オンデマンドを十分に美しいと感じてしまっている人がいる。

せつない。

美しい色に触れたことが無いのだろうか?
「ほんとは嫌だけど、許せる範囲なので使います」と言ってほしい。
もしくは「あえてこの濁りを利用します」とか。
(僕の個人的わがままですので、ご容赦下さい)

また、オフセット印刷だとしても、色校正を出さずに、
ただ単純に印刷するだけでものが出来上がっているケースが増えている。
コストカットの手段としてやむを得ないのかもしれないが、
これも、「ほんとは嫌だけど、やむを得ないので色校正は見ません」
と言ってほしい。

***

デジタル技術が大きく進歩した昨今、
ある側面は退化している気がする。

昔は美しかったものたちが、廉価版として蔓延している気がする。
その区別がつきにくい環境になっている。
以前、このブログでも語らせていただきましたが、
そろそろリーズナブルな時代に幕を下しませんか?
利益に流されずに、意識的に品格を作っていく必要性を感じます。

明治とか昭和初期の素人写真って、いいものが多いですよね。
たんなる家族写真とかも素敵な写り。
コンデジとか使い捨てカメラとか無くて、
お父さんが持っているのはリンホフとかライカのレンジファインダーとか
ローライのブローニーとかなのだろうと思う。
レンズも安物なんて存在しないから、必然的にいいレンズを使うのだろう。
リーズナブルじゃないことの素敵例です。

ぼくも、まずはコンビニ弁当をやめようかな、、、、。無理かな。



2011年5月21日土曜日

アフリカン・ユニフォーム・ナウ

私、スポーツ観戦が好きなのですが、
スポーツ自体の面白さよりも、ユニフォームを見るのが好きなのですね。
まあ、スポーツに限ったことではないのですが、、、。
先に断っておきますが、制服マニアとかのハイレベルな人達とは違いますので、
誤解のないようにお願いします。

で、
最近、気になっているのがアフリカ諸国のサッカー代表ユニフォームです。
やたらとプーマ製が多いのは、普段から豹を見慣れているからかな?
気のせいかもしれないが、プーマはアフリカンによく似合うデザインが多い。

毎年、各スポーツブランドは、世界共通フォーマットを作ります。
契約国はそれをベースにそれぞれの国らしさを加えて出来上がるのが、
ナショナルチームのユニフォームです。
それで特に2010-2011年のプーマのフォーマットは秀逸です。

右肩だけ異なる袈裟懸けっぽいデザイン。日ハムっぽいとも言うかもね。

ホームはソリッドで、アウエイは広い間隔で配置された2色の縦ライン。
そして、このプーマフォーマットのユニフォームで、
特に奇をてらわず、そのまま受け入れているにもかかわらず、
すごく素敵な2国が、エジプトとアルジェリア。

これがエジプト。



これがアルジェリア。

どちらも提供フォーマットそのまんまです。
でもすっごくカッコいい。
どちらも国旗の配色を素直に使っただけなのに、最高。

フォーマットの優秀さを痛感します。

そして、プーマベースに手を加えて、
さらに加速したデザインを生んだガーナ代表。

これ、一見格好わるいんだけど、
試合中の人の動きをより躍動的に見せる優れものです。


そしてこっちの白いのがホームタイプ。
これはこれでかなり素敵です。
こちらも試合中の見え方が最高です。★ってあなどれませんよ。
ガーナの国旗は★なので、ホームタイプは理解できるが、
アウェイタイプには、ガーナとしての記号が全くない。色も関係ない。

この大胆な、なおかつ思いつきっぽいやりっ放しな感じが
アフリカっぽいのですね。
日本人には真似できない芸当です。
日本代表のユニフォームも、日本的記号は希薄ですが、
ホームとアウエイの関連付けはしっかりしている。
ブランディングの方法論としては正しいけど、
伸びしろがない感じがする。

同じく、プーマベースに手を加えている国の一つに、
有名どころのコートジボアールがある。

これがホーム。コートジボアールと言えばこのオレンジとグリーン。
国旗の色ですね。


そしてこれがアウエイ。
横縞になっちゃった。でも、
国旗色で韻を踏んでいるから、ガーナよりはちょっと大人です。


繰り返しますが、本当にどれを見ても
フォーマットの優秀さを痛感します。
この袈裟懸けのような右肩の斜め線のおかげで、
まとまりを維持できていることが見て取れます。

そして極めつけがアフリカ統一ユニフォーム。
おおうちおさむの選ぶ、ベストユニフォームです。


見てお分かりと思いますが、大地と空を表現しているデザインですね。
まぁ、なんてアフリカンなことでしょう!
そして、なんと、なんと、
大地を駆け巡り、空に向って大きくジャンプしているような、
豹(プーマ)の姿があるじゃございませんか!!!!。
「これがやりたくて、
プーマと契約したんだな!こいつらは!」
と叫んでしまいました。

本当にかっかっこいいですうう。
デザインコンセプトはさることながら、
このインチキ臭いグラデーション。
健全なスポーツっぽくない、病んだ感じ。
これをアフリカ統一チームのユニフォームにするのだから、
素敵なやつらでございます。

2011年5月15日日曜日

ガンダムが好きなんですが何か?

小学校低学年のときにガンダムに出会ってから30年ほどの月日が経ちました。
いまだに色あせないガンダムへの思い。
これほど長い間、何かを好きでいたことって、、、親くらい?

小学生時代にガンダムを見ていなかったら、
デザイナーになっていなかったかもしれません。



幼い僕がガンダムから学んだことを羅列してみる。

宇宙の仕組み
重力のこと
空気のこと
宇宙では摩擦が無いから止まらないこと
宇宙植民地の仕組み
酸素欠乏症の成れの果て
政府と反政府ということ
連邦っていうこと
戦死者は二階級特進すること
人は塩がないと生きていけないということ
大気圏に落ちると燃えること
全長18mのロボットが地球上で空を飛ぶのは大変なこと
主役ロボットも弾切れすること
悪役にも人生があること
大人よりも子供の方が感受性が高いこと
ミノフスキー物理学(架空)の概念
シドミードのこと
油性塗料とシンナーのこと
プラスチック成形技術のこと
ドーピングや薬物依存の怖さ
臆病はときとして盾になるということ
必殺技の名前を叫ばなくても敵をやっつけられること

まだまだあります。きりがないです。
すこしあげただけでもこれだけたくさん思いつく。
小学生にとっては鮮烈極まりない作品でした。

でもやっぱり、ガンダムの最大のテーマと言えば、
「人間は生活環境が変わると新しい能力を備える」です。

ガンダムは人口が増えすぎた地球から、宇宙植民地へ移住して、
それぞれの植民地が国家のような機能をもつまでに進んだ時代の話です。

「君は地球生まれかい?」
という言葉にドキドキした記憶があります。

そんな中、植民地で育った人と、地球で育った人では何かが違うのです。
思考や身体能力など。
そして、前後左右が不明瞭で、
さらに無重力の宇宙空間での戦闘を体験する中で、
新しい適応力が芽生えます。進化です。
あの有名な「ニュータイプ」ってやつです。
これが、漫画にありがちの行き過ぎた能力ではないので、
そこにリアリティを感じてしまいます。
目が不自由な人の「気」を読む力、座頭一のようなもので、
強力な「勘の類い」なのです。

結局、主役のアムロレイは、戦争の英雄にも関わらず、
その能力が強すぎて、行動監視付きの生活を強いられることになるのですけどね。

人類の永遠のテーマとも言える進化論。
ダーウインのような根源的なことは置いておいて、
小さな進化は日常的にちょこちょこ起きている。
慣れとか上達って、進化でしょ?
人はまだまだ進化すると思います。

ガンダムはこの能力を軸に話が進められるのですが、
ニュータイプへ進化する人は希で、なかなかいません。
したがって、お決まりのように、人工で能力を開発する実験を繰り返し、
人造ニュータイプを作り出します。
とても残酷に描かれています。

そして今年、『ガンダムUC』という作品を拝見しました。
そこでは、ニュータイプの能力を消してしまう機能が組み込まれた
ガンダムが登場します。
進化した人類の能力を、同種の人類が打ち消そうとする。
いろいろな比喩が含まれていますね。

3年前くらいに、尊敬するインテリアデザイナーさんから、
「宇宙人の友達がいる」という話を聞かされたことがある。
始めは半信半疑でしたが、あまりにも具体性があり、
しかも尊敬している人からの言葉なので、すこし信じています。
そのお友達は、宇宙人というよりは、特殊な能力を持った人でした。
その特殊能力を求めて、ペンタゴンから月1くらいのペースで
お呼びがかかっているそうです。
詳しくは書けません。書きたいですが、、、。
このブログが不当に削除された場合は、このネタがタブーだったとお察し下さい。

という訳で、我々が知らないだけで、じつは人間レベルを越えた能力者は沢山いて、
社会のバランスを保つためにひそかに役目を果たしている可能性が高いです。

ニュータイプ、、僕も目指します。

2011年4月30日土曜日

スタジオボイス+ニッケイビーピー+ナノナノグラフィックス・アット・オンサンデーズ

人生初のトークショーに出演させていただきました。
以前ご紹介した、架空の1日を再構成した写真集
『写真本 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24』
(シャシンボン・ニジュウヨンエイチ)
 の出版記念写真展の企画です。

司会:加藤陽之さん(STUDIOVOICE編集長)
出演:この本の企画編集である、安藤夏樹さん(日経BPコンサルティング)
アートディレクション担当の、おおうちおさむ(ナノナノグラフィックス)

このほかにも、参加写真家さんのトークショーが4回あるのですが、
制作側の人間だけでおこなう珍しい企画です。
安藤さんは、その4回全ての司会をこなします。マルチな方です。
御正室はガンダム好きでした。

向って右から、加藤さん、安藤さん、おおうち
白熱
オンサンデーズの草野さんも白熱
終了後も白熱。手前は日経BPのアイドル、ナミコちゃんとマサエちゃん。
イーストさんたち。ヒラーキーさん後ろ向きご容赦。

とても内容の濃いトークになりました。
加藤さんはSTUDIOVOICEの「紙」での復刊を目指し、
かっこいいスタンスで試行錯誤中です。

最近は、出版業界の人が集まると、
紙と電子メディアの将来のことを必ず話す風潮。
両者は比較する事自体がナンセンスだと思うのですが、
加藤さんがおっしゃっていたことが、妙に心に響きました。
誤解覚悟で要約すると、

「戻る場所としての紙媒体を、残しておく必要がある」
ということです。

いろんなことの答えがこの言葉に集約されているような気がします。
皆が共感できることではないと思いますが、
私は強く感銘を受けました。


話は変わりますが、
今年の1月に、
全日本卒業アルバム印刷組合というところから、お仕事の依頼を受けました。

卒業アルバム業界にも電子化の波が押し寄せていて、
紙で作る高価な本に対する理解が減っているとのこと。
紙で作る場合、掲載写真数が限られるので、
「うちの息子の写真が少ないじゃないか(怒)」
といったことがおこります。
電子メディアの場合は、大量の写真データを提供できるメリットがあり、
「うちの息子の写真がたくさんのってて幸せざますう。」
ということになるのですが
そこには秀逸な編集は存在しません。

全日本卒業アルバム印刷組合としては、電子メディアを否定はしないが、
紙の本として残す価値をもっと訴求できたらいいなという思いがあり、
わたしにご相談下さりました。
今年度に配る予定の何十万冊もの卒業アルバムに、
そのことを訴求する小冊子をはさみ込みたいのだそうです。

紙であることの良さ、、、、。
そこで、こんなことを提案しました。

見開き単位で進行する冊子とし、
右ページに本(卒業アルバム)の写真。左ページに人の歴史を感じさせる写真。
その関係を崩さずに数十見開きが続きます。
ページを追うごとに、
右の本はだんだんぼろぼろになって行くのですが、
左の人の歴史写真は、卒業し大人になり、社会的地位を築き、
結婚して子供ができる、という具合に、成長して行きます。
そして生まれた子供が小学校へ入学して終わります。
また素晴らしい人生が始まるのです。

タイトルは「卒業アルバムと一緒に年を取るということ」です。

組合のみなさんに大変気に入っていただきました。
くどくどと思いを語る冊子よりも、
印象で理解してもらえるようにした狙いが、伝わりました。


表紙です。
こんな見開きが続きます。右の本はどんどんボロくなっていきます。

3.11のときに、卒業アルバムは大量に流されてしまいました。
生徒さんに渡す前のものがほとんどで、
ほんとうに悲しい。
学生さんだけでなく、人々の大切な思い出としてのアルバムも沢山失われました。
この小冊子もストップです。

全日本卒業アルバム印刷組合では、
なんとか卒業アルバムの復刻を作れないかと検討中です。
もちろん昔の物も。
震災被害に遭う前の美しい町並み、自然、校舎、生活、
それらが写っているアルバム。
それらは二度と撮影できない風景となってしまいました。

「シャシンボン・ニジュウヨンエイチ」のコンセプトは、
「東京の2010年の記憶と記録」。
今回の震災と、 全日本卒業アルバム印刷組合の仕事に触れて、
また違う意味での 「シャシンボン・ニジュウヨンエイチ」
の有り様が見えてきた気がします。

「シャシンボン・ニジュウヨンエイチ」の第二弾を実現したいです。