2011年4月9日土曜日

ジャスティス・ジャスト・ディス・ケース

『これからの「正義」の話をしよう』
売れましたね。
マイケル・サンデル教授。

「ビル・ゲイツやマイケル・ジョーダンから富の一部を取り上げ
貧困者に分配するのは正しいのか」
「多くの人を助けるために一人の命を犠牲にすることは正しいのか」
答えの見えない問い。
対話型の授業。
日本人には新鮮でした。

この本では正義に対する3つのアプローチを唱えている。
サンデルさんは3番目を支持している。

1)幸福の最大化という正義。
功利主義的なスタンス。
まさにこれが、
「多くの人を助けるために一人の命を犠牲にする
最大多数の最大幸福こそが正義なのだとすること。」
これは正義と権利を計算上の対象にしていることが問題。

2)自由の尊重という正義。
自由は破綻を招く。
「個人の自由選択こそ正義、思うままに生きる。」
それだけでは社会は成り立たない。

 3)美徳の涵養という正義。
「共通善」を判断する。
たとえば、
現在、東日本大震災のまっただ中ですが、寄付や募金をほとんどの人が行っていると思います。その行為は、「被災者のためなのか」もしくは「自分の価値を上げるためなのか」では、性質が違ってくる。その判断。


「美徳の涵養」、、、、素敵な響きですね。
【美徳】美しい徳。道にかなった行い。
【涵養】水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てること。

いい。凄くいい。
これこそが人類の未来を切り開くのではないだろうか?
幼い頃から時間をかけて育まれた人間性は、
どんな有事においても勇敢に発揮されると思う。

仮面の善人は、もろい。

こんな話を聞いたことがある。
宝石商の娘は、本物だけを見せ続けられながら育ちます。
偽物と本物を見分けるために、両方を見比べたりしません。
本物だけ見ていれば、偽物はすぐに解るということ。
ただし、その域に達するには永い時間が必要です。涵養です。
偽物を見てしまうと目が鈍るのです。

いま巷では、
「本物っぽいんだけど本質的に違う。でも、偽物とも呼べない。」
という感じの物や事が多い。
美徳の涵養は簡単じゃないですね。

そんなこんなでいろいろ考えていると、
『サンデル教授の対話術』の装丁依頼が舞い込んできた。
かなり嬉しかった。

こんな本です。(NHK出版)


通常の自分のデザイン手法は、
「まずやりたい事のMAXを提案する」です。
降ってきたお告げに 従う事から始めます。
でも、この本はすでに刊行されている類書たちと比較して、
方向を決めました。
結構いい出来だと思います。
実際売れてるし。

この表紙のサンデルさんの写真、カッコ良すぎ。
このポーズ、出来過ぎ。
これは、
熱心に話している最中に、無意識のうちにでてくるポーズなのか、
生徒にウケるために、カッコいい自分を研究して出てきたポーズなのかでは、
性質が違ってくる。

美徳の涵養 、、、?
共通善の判断 、、、?

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