2011年4月10日日曜日

ヴォイスアクトレス・エターナル・ショウジョ

林原めぐみさんという声優をご存知だろうか?
「エヴァンゲリヲンの綾波レイの声の人」と言えば、
ほとんどの人がピンとくるはず。

アイドル声優というジャンルを作った人で、
現在の声優のアイドル化現象は彼女なしには語れない。
声優としての実力はすばらしく、何年間も第一線を走っている。
歌唱力も申し分なく、「声」芸の達人ですね。
残す敵は、江戸家猫八くらいか。

私は8年前の独立後すぐに、とある出版社の紹介で、
彼女のエッセイ集をデザインすることになった。
独立後、初めての仕事と言えるほどで、まだ「己」を確立できていない私が、
どこまでやれるか、最高の指針になると思った。
彼女が世界中で撮りためた、いい感じのスナップ写真と、
エッセイの組み合わせが軸。
そこに私が感じ取った気持ちを形状化したオブジェクトを加えていった。
それがとてもよくはまり、気に入ってもらえた。
たくさん売れました。
その後、現在に至るまでCDのデザインを手がけさせていただいています。

そんなわけで、
nano/nano graphicsのスタートのピストルを撃ってくれた人と思っています。

昨日、ベストアルバムのジャケット用撮影をおこなった。
今は一児の母となった彼女は、変わらず清々しい。
今回は、写真家さんも大物女流。
何かがおきる予感。
案の定、いままで見た事の無いような
「2011版林原めぐみ」が出来上がっていった。
二十歳前後にも見えそうなかわいさが、大勢のプロフェッショナルの手によって、
丁寧にかつ大胆に紡ぎ出されていく。
最高のデザインで応えたい。あとは私が引き受けます。


さて、私は常々、林原めぐみさんから無限のポテンシャルを感じている。
勝手に。
ここから先は持論。

林原めぐみさんは、
何百人ものキャラクターを演じ分けてきた。
ものすごい種類の豊富な体験を間接的にしている。
演技を自分でする俳優さんではとても無理です。
それは「体」を使う以上、その呪縛のなかで演技をするしかないから。
もちろん、それも素晴らしいことは言うまでもない。

アニメーション における「声」の重要性に興味が出た。
アニメーションと実写の映画を、サイレントにして見比べてみた。
実写の映画は、無音でも演技の空気とか、微妙な表情とか、かなり情報が多い。
よって、ある程度わかる。いや、かなりわかる。

逆にアニメーションは 、、、、わからない。
最近のアニメはクオリティーが高く、口の動きを声に合わせてあったり、
微妙な表情を作り込んでいたり、それは見事な物です。
でも、無音だとわからないのです。
声があるからこそ、その作り込みが生かされている証拠。
声優は映像に頼れないんですね。実は。

つまり実写の吹き替えなんかは比較的楽なのかも。
だからお笑い芸人とかアイドルとかがチャレンジし易いのだろう。


沢山のキャラを演じているという事は、
それ相応の量のスクリプトに接しているわけです。
その結果なのかどうか解らないが、
くだらない話をしているときでも、言葉選びのうまさ、
伝えるイントネーション、間、すべてがいい。
などと思うたびに、アニメの世界におさまっていることが
もったいないなあと思ってしまう。

たとえば、外務大臣になってほしいとか思うのです。
これだけジャパニメーションがウケているし、
普通に声力が強い彼女が外交をやったらと思うと、ちょっと楽しい。
通訳は真面目で一本調子な人がいいね。対比が面白い。

官房長官でもいいかも。
総理官邸からの報告を聞きたい。

綾波レイの声で、事業仕分けなんかしたら、円滑に進むかも。

「声」は大事。
「声」は人を動かせるかも。
「声」は思いを伝えられるかも。
「声」は人を喜ばせられるかも。悲しませてしまうかも。
「ごめんね」といえば「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか?

ニュータイプのインタビューで私と2ショット

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