2011年4月15日金曜日

ギシキテキ

イタコって、いい動きで踊る。
魂を憑依させるために踊る。
黄泉の国との契約のための儀式なのか?

ぼくは昔から「ヴァイオリン」の演奏を見るたびに、
これって演奏じゃないな。
などと思っていた。

ギター系、ドラム系、金管系、
たいていの楽器はそう思わない。
奏者の動きは、その「音」を発するための理にかなっている。

でも「ヴァオリン」は違うんです。
チェロ、ヴィオラ、コントラバスもそうかというと、
そうだけど、、、そうではない。
やはり「ヴァイオリン」だけ違う。
その音を出すための動きに見えない。
踊っている。

どうみても、イタコのように、
美しい音色を「天界」から降臨させるための儀式に見える。
おそらく、叩いたり、弾いたり、吹いたりするのとは
違うからなのだと思うのだが、、、?。

長く響かせるときも、ヴァイオリンはずっと擦っている。
フェードアウトも人為的。
通常の弦楽器は、弾いて放置。そして音は勝手にフェードアウトする。
つまり、自然現象に頼っている度合いが低いから、
表現力を問われる度合いが高くなり、
それを「天界」から認められたら、素敵な音が降ってくるのだと思う、、、?。
むむ、違う気もするなあ。

なんとなく、「テルミン」を演奏するときの、
奏者の動きと音色のギャップに似ている気もする。
あれこそ、カッコいい踊りに対する対価としての音色ですね、、、、?。

こんな事を考えながら、演奏を聴きに行くと、3倍増しで感動しますよ。

昨日、ある人からお借りした本が、東京文化会館のトートに入っていて、
学生時代、何度も室内楽を聴きに通った日々を思い出していたら、
この「ヴァイオリン」に対する気持ちが甦ってきたので、
ここに書いてみました。

1 件のコメント:

  1. 何となくわかる気がします。
    ほんの少しだけ、ピアノもそれに近い気が。
    ちょっとかじった楽器では
    ラッパは、ボールは友達!的に大事な仲間感覚で
    ピアノはお祈り=どちらかと言うと儀式的?のような感覚でした。
    ただ聴く、ただ鳴らすだけではない何かがあると
    音楽の楽しさって何倍にもなりますよね。

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