イタコって、いい動きで踊る。
魂を憑依させるために踊る。
黄泉の国との契約のための儀式なのか?
ぼくは昔から「ヴァイオリン」の演奏を見るたびに、
これって演奏じゃないな。
などと思っていた。
ギター系、ドラム系、金管系、
たいていの楽器はそう思わない。
奏者の動きは、その「音」を発するための理にかなっている。
でも「ヴァオリン」は違うんです。
チェロ、ヴィオラ、コントラバスもそうかというと、
そうだけど、、、そうではない。
やはり「ヴァイオリン」だけ違う。
その音を出すための動きに見えない。
踊っている。
どうみても、イタコのように、
美しい音色を「天界」から降臨させるための儀式に見える。
おそらく、叩いたり、弾いたり、吹いたりするのとは
違うからなのだと思うのだが、、、?。
長く響かせるときも、ヴァイオリンはずっと擦っている。
フェードアウトも人為的。
通常の弦楽器は、弾いて放置。そして音は勝手にフェードアウトする。
つまり、自然現象に頼っている度合いが低いから、
表現力を問われる度合いが高くなり、
それを「天界」から認められたら、素敵な音が降ってくるのだと思う、、、?。
むむ、違う気もするなあ。
なんとなく、「テルミン」を演奏するときの、
奏者の動きと音色のギャップに似ている気もする。
あれこそ、カッコいい踊りに対する対価としての音色ですね、、、、?。
こんな事を考えながら、演奏を聴きに行くと、3倍増しで感動しますよ。
昨日、ある人からお借りした本が、東京文化会館のトートに入っていて、
学生時代、何度も室内楽を聴きに通った日々を思い出していたら、
この「ヴァイオリン」に対する気持ちが甦ってきたので、
ここに書いてみました。
何となくわかる気がします。
返信削除ほんの少しだけ、ピアノもそれに近い気が。
ちょっとかじった楽器では
ラッパは、ボールは友達!的に大事な仲間感覚で
ピアノはお祈り=どちらかと言うと儀式的?のような感覚でした。
ただ聴く、ただ鳴らすだけではない何かがあると
音楽の楽しさって何倍にもなりますよね。