「森を計画するように、建築を考えてみる。」
この言葉は、
石上純也著『建築のあたらしい大きさ』の一説です。
最近注目されている建築家ですが、
こんなにも素敵なことを考えている人だとは知りませんでした。
石上さんの文章を引用しながら、拙文を書かせていただきますと、
壁、柱、天井、床、扉、窓。
通常、だいたいこれが、建築内部を構成している要素なんだけど、
これらの配置は厳格な原理のもとに決定されていて、
住人は空間の使い方は迷わないんですね。
でも森の場合は、
木や植物の配置は厳格な自然の原理のもとに決定されているのだろうけど、
そこに住む動物達は、草や木がそこにある理由を厳密に知らなくても
合理的に生活している。
それは建築とは大違い。
例えば建築の場合は、壁が二つの空間を仕切るものだとすぐにわかるが、
森のなかでは、なぜこの木がここにあるのかはよくわからない。
でも、いずれ、それぞれの動物にとっての常道が築かれて、
テリトリーのようなものも出来上がる。
壁や道のようなものは、
どこまでも深く続いていく複雑性のなかで
あたらしい関係性として築かれていくものなのですね。
共感。
石上さんは、それを建築で実践しているのです。
2000平米のワンルームに、305本の全て形が異なる柱を立てる。
まさに人工の森ですね。
そこを使っている人たちを観察するスタディです。
まっすぐ行けるのに、あえてぐねぐねと歩き出したり、
一度通ったルートを、気付かぬうちにリピートしていたり、
空間の中に、習性が作り出した目に見えない間仕切りを感じ始めます。
柱が空間を作り出すのか、
人の動きが空間を作り出すのか、
植物なのか、家具なのか、
その関係性は複雑で容易に把握できない。
そういう空間の不安定さを意図的に建築の中で計画していく方法を
模索したのだそうです。
石上さんは「いままで建築ではなかったものを建築に変えていく。
そういう可能性について考える」と言っていて、
私的には、建築界にあたらしい次元がはじまる予感がしています。
とても文学的な建築論。
大好きになりました。
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